ドクターX 大門未知子 vs. AI にツッコんでみる

昼間、カンファレンスでさんざんAIというかニューラルネットワークとかマシンラーニングの話を聞いて、頭からこぼれそうなところに、日本よりちょっと遅れてドクターXの「大門未知子がAIに勝つ」という回をやっていたので、ちょっとツッコんでみたくなりました。番組見てない方はググってあらすじ読んでください。以下、ネタバレ大あり。なお、私はAI専門家ではなく、文系人間のレベルで勉強中です。

なぜ「ヒポクラテス」なる医療AIが、脳に寄生虫がいるという診断ができず、脳膿瘍なる病気だと言ったのか。

まず、ドラマで最初のほうに、「X線画像から予想できる病名と、それぞれの確率分布」のグラフが示されます。外科医のブログ(http://keiyouwhite.com/doctorx5-5)によると、この分布は間違っていないそうですが、ここまでならAIではなく、単なるデータベースサーチとデータの可視化に過ぎません。

本来ならば、そこで大門未知子がやったように、体の他の部分の状態、行動に関する質問、海外渡航歴などの項目を埋めていき、decision treeをたどっていくのだと思います。それが間違ったということは:

  • decision treeがそもそも間違い?こんな基本的な質問もしないでいいの?
  • データセットの中にこの症例がなかった?データのラベリングなどが不完全でクリーンじゃない?
  • 不完全なデータセットを前提としたenforced learningだとすると、シミュレーションが足りなくて空白が埋まっていない?
  • そもそもこういうのって、どうやってシミュレーションするんでしょう?ロボットの作業指示なら、ロボットをずら~っと並べて延々とシミュレーションすればいいのだけれど、病気の場合は動物実験でもするのかな?

など、つい考えてしまいました。

現在のところ、AIを作るのは膨大なデータと人手が必要で、効果的に使えるのは「特定の目的」に限って深く多くデータを投入したりシミュレーションしたりできるところに限られる、というのが私の理解です。IBM Watsonも、「なんでも診断」ではなく、癌に限りますよね?それでも「使えねー」と中止させられちゃったりしてますよね?その理解で正しい?ヒポクラテス君もやはり癌専門だったから、寄生虫がわからなかった?

まぁ、ドラマは近未来の「ナンデモ診断」ができる時代のお話だとして(今のところ、チェスと碁はAIが勝ってますが、将棋はまだ←取った相手の駒を使うという部分が難しいとききました)、それでも上記のようなことを考えると、「AIがポンコツなのは、作った人間がポンコツ」(decision treeとかトレーニングの仕方とかシミュレーションの仕方とかが間違っているまたは足りない)ということでおk?その頃にはAIの研究者が、上記のような不完全性を克服するやり方を考え出してすでに実装しているはず?ヒポクラテス君は、作った人がお金をケチってちゃんと作られていない?

AI専門家のご意見を読みたいと思ったのですが、ざっとサーチしただけでは出てこなかったので、与太話を書いてみました。これへのツッコミ、歓迎いたします。

【イベントお知らせ】サンフランシスコのLINE-Intertrust Security Summitにパネルとして登壇します

11月14日(火)、サンフランシスコのLINE-Intertrust Security Summit にて、パネルの一人として登壇いたします。プライバシーに関する政策のパネルで、英語での議論となります。

会議の情報および登録はこちらからどうぞ → https://www.intertrust.com/company/events/line-summit/

「女性活躍」界における「植木等」待望論

NHKで「植木等とのぼせもん」というドラマをやっています。私は植木等さんがシャボン玉ホリデーに出ていたのをリアルに見た世代です。懐かしいです。

ドラマでも描かれましたが、まじめな植木さんが最初「スーダラ節」を歌うのを躊躇していたのを、僧侶のお父さんが「これは親鸞上人の教えだ」と言って後押ししたという逸話があります。改めて振り返ると、あの1960年代、急速に増加した「ホワイトカラーのサラリーマン」たちは、急激に変化する時代のストレスの中で、あの歌で救われたのではないか、という気がします。

あー、そういうのでもいいのか。みんながみんな、スーパーサラリーマンじゃなくてもいいんだよな。わかっちゃいるけどやめられないんだよ。それが人間なんだよ。うん。

そうやって、完璧でない自分を誰かが肯定してくれたようで嬉しかったから、あれだけヒットしたのでしょう。

さて、最近の日本の「女性活躍推進」の中で、若い女性が不安に押し潰されているという話を読みました。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/02/moyamoya-jyoshi_a_23228148/

https://newspicks.com/news/2531306

仕事も家庭も、どっちかに手を抜けばすぐに批判が飛んでくる不安にビクビクする中、どこかに現代版「植木等が歌うスーダラ節」みたいなものが出現してヒットして、不安を笑い飛ばして、完璧でない彼女らを肯定する風潮になればいいのに、と思います。

昭和のサラリーマンのように、二日酔いでも会社に行っていれば、なんとなく給料もらえて、人より早くなくてもいずれはなんとなく係長や課長にズルっとなっていく、という世界でないことは承知しています。そりゃ、今は大変です。でも、別の部分であの頃より今のほうがよいところも多いはず。なんたって、ネットと携帯がある。情報は武器。本当にありがたい世の中ですわ。

私は、大学の同窓生女性のフォーラムに関わっています。参加者は皆それぞれ、目指すところは違うのですが、私としては、その活動を通して、「スーパーウーマンか、専業主婦か」の二択ではなく、無理ないペースでやっていき、トップでなくてもなんとなく係長とか課長ぐらいにズルっとなる女性がたーくさんいる、という日本を目指すのがよいと思っています。そこがボリュームゾーンなので。

人間誰しも弱いものです。わかっちゃいるけど全部完璧になどできません。マミートラックでもパートでも、なんでもいい。人よりゆっくりでもいい。人生は長い。楽しく生きよう。

(私自身が、自営という名の自前マミートラックに自らを置いたなぁ、と最近つくづく思うので、上記のように思って、自らを慰めております。)

・・と私が叫んでも全く影響がないので、どなたか植木等並みにインパクトのある形で、やってくれませんかねぇ・・?

【記事掲載のお知らせ】アマゾン第二本社計画、ラジオでニュース解説しました

アメリカ時間の昨夜、J-Waveに声の出演しました。「アマゾン第二本社」ニュースの解説でした。NewsPicksにてこちらのダイジェスト+音声ファイルが出ていますので、よろしくお願いします。→ https://newspicks.com/news/2531233?ref=pickstream_865003

第二本社の建設地を公募するアマゾン。その狙いは「地方創生」か?

第二本社の建設地を公募するアマゾン。その狙いは「地方創生」か?

【記事掲載のお知らせ】なぜ日立はシリコンバレーで生き残っているのか?

ずっと前から疑問だった、「なぜ日立はシリコンバレーで生き残っているのか?」について、同社新戦略発表カンファレンスに取材して記事を書きました。

https://www.businessinsider.jp/post-105193

日立IT部門はシリコンバレーで生き残れた理由——「やめる事業」選択こそが企業を成長させる

日立IT部門はシリコンバレーで生き残れた理由——「やめる事業」選択こそが企業を成長させる

【ナンデモ歴史56】イケオバたちの悪だくみ - メディアにおける「女性の老い」

引き続き大河ドラマ「直虎」について論じます。(シツコイ)

昨年の「真田丸」の萌えポイントの一つに、「イケオジたちの悪だくみ」があります。若いもんがマジメやっている陰で、悪いイケメンオヤジたちが悪そうにニヤニヤしながらなにやら企んでいるところが、たまりませんでした。草刈正雄さんの真田昌幸はご存知の大人気ですが、私的には近藤正臣さんの本多正信の寝たふりなども大好きでした。

今年の直虎は、信玄や信長のような、有名どころの悪いオヤジたちが「記号」としてシンプルに扱われている一方、怖カッコイイ「悪いイケジョオバサン」が、ブキミな存在感を発して活躍します。特に浅丘ルリ子さんの寿桂尼が凄くて、病身なのに自ら信玄に会いに行くなど奔走し、それをこれまでの時代劇にありがちな「滅私奉公」的な美談ではなく、「こうすれば哀れを誘って相手の譲歩を引き出せる」という謀としてやっている、というところがめっちゃ魅力的で、怖大好きでした。

先週登場の栗原小巻さんの於大の方がこれまたブキミで、楽しみにしています。山岡荘八「徳川家康」の於大の方は、まさに慎み深く滅私奉公な、昔風理想の女性の「記号」として描かれていて「ナンジャーコリャー、ケッ」と思っていたので、今回悪いイケオバとして描かれるのがとても嬉しいです。

考えてみれば、悪いイケオジというのは、日本のドラマでときどき登場するおなじみキャラでありますが、悪いイケオバというのはあまり思いつきません。年配の女性の描かれかたは、そういえば比較的画一的であり、「優しい/厳しい/健気な母/おばあさん」か、独身/子無しの場合は「頑張ってきたけど哀愁」的なパターンが多いような気がします。

一方、先日「20-30代の働く女性が、自分は老けたなと思うことが多い」という記事がありました。その背景として、現代の女性にとって「老いることはひたすら価値がなくなること、悪いこと、嫌なこと、怖いこと、避けたいこと」という刷り込みがあるように思います。だから、人から老けたと言わたくないので自虐にしてしまうとか、相手に「いや、そんなことないよ」と言ってもらいたいとか、無意識な「予防線」を張っていると思えてしまいます。

こうしたメディアの「決めつけパターン」の一つが、上記のような「年配女性キャラの画一化」であります。たとえ「美しく老いる」と言っているつもりが、その表現型は「美魔女」礼賛という、「見かけは老いない」という貧困な発想に行ってしまいます。(というか、そのための美容商品を売りたいという一面もあり。)

ですから、「直虎」における「魅力的な悪いイケオバ」はとても新鮮です。「自分がヨレヨレのバーサマであることに価値がある」と位置づける、その発想はなかったです。それは悲壮な決意でもあるのですが、したたかな逆転の発想とも言えます。

私自身は、老いることに逆らっても無駄なので、そこに抵抗するという無駄なエネルギーは使わない主義です。年齢を聞かれればさらっと答えるし、体力・気力の衰えを感じても、「あー自分はダメだ、もっと頑張らねば」と価値判断をせず無理をせず、便利な道具に頼り人に仕事を押し付けてサボります。それなりのスキンケアもエクセサイズもしますが、そうすれば自分が気持ちいいからであって、他人に若く見られたいからではありません。

でも、受け入れたその先に、何らかの魅力的な「モデル」があったわけではありません。

「老いに価値がある」という新しいロールモデルは、ホントいいですね。未来に明るい光が射してきます。

昨年大ヒットした「逃げ恥」でも、ゆりちゃんの「年齢を重ねることをバカにするのは、未来の自分を貶めること、自分に呪いをかけること」というセリフが有名になりました。より多様で魅力的な「オバサン」の姿がメディアで描かれるようになったのはとても嬉しいです。

女性が主人公の大河では、子供時代が「お転婆で天真爛漫」というステレオタイプが多く、今年も最初のうちはそうだったので「はいはい、ジブリジブリ」と辟易していたのですが、年をとるにつれて、面白くなってきました。前回、南渓和尚が「自分がこの道を選ばせた」と気づいたように、直虎は、自分で選んだといいながらも、実はなりゆきや人の意見に影響されて選んだ気になっていて、何をやりたいのかという本当の自我の軸がなかったように思います。このあたりもとてもうまいストーリーテリングだと思います。私も自分の過去を振り返ると、実はかなりの部分、周囲に流されたり人の目を基準にしたり、いろいろ言い訳して、自分のキャリアを選んできたと、最近気が付きました。それは良いことか悪いことかの価値判断は、敢えてせず、事実としてそうだったと受け入れようと努力しています。直虎も、ワンパターンな「男勝りの女傑」ではなく、等身大の「ヘタレキャリアウーマン」です。

そんなヘタレが、このあと自我に覚醒し、立派な「悪いイケオバ」となり、イケメン直政(史実でもイケメンで、それをけっこう武器にしてのしあがったらしい)をコントロールする悪だくみをめぐらす姿をぜひ見たいものです。(いや、そうなるかどうかは知りませんが。)

そして不肖私も、今後は悪いイケオバ(顔がイケてるかどうかはキニシナイ)をめざして、ますます精進したい所存であります。

【ナンデモ歴史55】信長のマントはどこから来たか ー 「毛織物」の歴史的意義

戦国時代のドラマで織田信長が出てくると、アイコン的に「マント」を着ていることが多いですよね。「直虎」でも、市川海老蔵演じる美しくも恐ろしい信長が、豪華な刺繍のはいったマント姿で、豆だぬき家康を踏んづけていました。

マントは南蛮=欧州からでないと入手できない高価な品である、という約束事を、見ている人も暗黙の了解をしている上での描写であります。

で、その「欧州」ですが、正確に言えば、日本に最初にやってきたのはポルトガルとスペイン、半世紀ほど遅れてオランダとイギリスです。欧州といってもフランスもドイツもいません。この時代、1500-1600年代頃に、はるかアジアまで船を出していたのはこの4カ国だった訳です。(ドイツという国はその頃まだありませんでしたし。)

前者のカトリック2国が「南蛮」、後者のプロテスタント2国が「紅毛」と呼ばれ、宗教改革の余波で日本に競争で布教にやってきた、と学校では習ったように記憶しています。しかし、こんな遠くまで来るにはたいへんな投資がかかるので、単なる宗教の布教ではなく、それなりの見返りを期待したはずです。では、そのビジネスモデルとは何か。

この時代より少し前、ヴェネツィアが地中海貿易の中心地だった頃は、アジアから胡椒や絹を仕入れて欧州で売る、というビジネスモデルでした。では、欧州からアジアへは何を売っていたのか、ちょっと調べてみましたがはっきりしません。穀物やガラスなどの工芸品かな、という感じですが、あまり大きなマージンがとれるわけでもなさそうです。

大航海時代にはいり、貿易の中心地が大西洋に移行すると、ジェノヴァ人クリストファー・コロンブスにエンジェル投資したスペインが、南米で銀を掘り当ててエグジットに大成功(歴史シリーズ(2)参照)し、その後せっせと銀の収奪貿易に精を出すようになりました。

いずれも、あっちとこっちの価格差を利用したアービトラージというビジネスモデルです。

その流れで、南蛮人が日本までやってきたのは、マルコ・ポーロのいう「黄金の国」で金を掘り出そうという目的だったのかと思っていました。

しかし、実は商品(銀、胡椒、絹)を安価に入手するというだけでなく、どうやらちゃんと売るものもあった、ということに気が付きました。

それが、「マント≒毛織物」だった、というわけです。やたら長い前段ですね・・すいません。(欧州から日本にはいってきたもう一つの主要品目は「武器」で、こちらのほうが儲けも大きかったと思いますが、ここでは毛織物に注目します。)

羊を飼うのは、はるか前史時代に中央アジアで始まりました。当時、羊は今のようなモフモフではなく、ヤギのような短い毛で、主にミルクと肉と毛皮を目的として家畜化されました。そのうち、紡績技術が出てきて、短毛羊の中でもお腹側にちょっと長い毛のあるヤツがいたのでその毛をとって紡績してみると、とても調子がいいということで、だんだんに長い毛をもつ羊を交配するようになり、数千年をかけて、現在のようなモフモフ羊ができました。

羊と毛織物技術は、ヒッタイトやスキタイを経て欧州にも伝播し、古代ローマ時代には、毛織物のマントが兵士の標準装備となりました。ローマ帝国崩壊後、いったん毛織物工業はすたれますが、中世半ば(西暦1000年頃)にまた各地でぼちぼちと復活しました。そして中世末期には、主要生産地がいくつか興隆し、欧州全土で人々の衣服に使われるようになり、ヴェネツィアは欧州の毛織物をイスラム諸国に輸出するようになりました。

この頃、羊を飼ってウール素材をつくる部分については、イギリスとスペインが最大生産地として確立しました。イギリスは、降雨時間が長いため、羊の餌になる草が長期間にわたって生える、という長所があり、スペインのメリノ種の羊は、高品質のウールを作るのに適していました。そう、イギリスとスペインなのです。

そして、素材に加工して織物製品にする技術は、イタリアや低地諸国で最初に発達しました。どちらも、ヴェネツィアとアントワープ、すなわち海運・金融・商品市場という交易のためのインフラをもつ地に近いという特徴があります。その後ヴェネツィアは衰退し、アントワープの市場はアムステルダムにその地位を奪われます。オランダ(ネーデルラント連邦)は、1568年から始まるオランダ独立戦争でハプスブルグから独立したばかりの新興国でした。(種子島にポルトガル人がやってきたのは1543年ですから、その頃はオランダという国すら、まだ存在していなかったことになります。ちなみに、イギリス国教会成立はさらにそのちょっと前、1534年でした。)

そもそも、オランダ独立戦争というのは、毛織物工業ですでに豊かになっていた低地諸国に対し、伝統の結婚政策でこの地を手に入れたスペイン・ハプスブルグ家が圧政を加えたことに端を発します。「圧政」のひとつに、プロテスタントへの迫害もありました。少し前にフランスでも同様の背景で「ユグノー戦争」がありましたが、この頃プロテスタントになったのは、毛織物を代表とする「手工業」に従事する、当時の「新興テクノクラート層」の人々でした。伝統的な農民とその領主(私の定義による「第一世代」)の枠組みから脱して、手に技術をもって工業製品を作るメイカー的な人たちであったため、第一世代の社会を安定させることに最適化したヒエラルキー重視のカトリックに不満を持っていたわけです。

つまり、南蛮=カトリックは「伝統的農業経済」、紅毛=プロテスタントは「新興手工業経済」の象徴でした。

カトリックながら毛織物工業をもっていたスペインは、日本との貿易では先行して、毛織物や武器を売りにやってきました。しかしその後長期的に、後者の「新興国」のほうが勝ち組となっていきます。

日本では関ヶ原の合戦があった1600年、イギリス東インド会社が設立され、その2年後にはオランダ東インド会社が続きます。オランダとイギリスの船が日本に来るようになったのは、その後です。

その後の半世紀ほど、英蘭戦争で敗れるまでがオランダの最盛期でした。イギリスでは、毛織物工業のための「囲い込み」が16世紀と18世紀に起こり、その後の「産業革命」の基礎となる資本蓄積が行われます。

毛織物工業とは、歴史的にとても大きな意味があるのですね。

で、冒頭の信長のマントですが、そういうわけで、1582年の本能寺の変より前ですから、おそらくスペイン(もしかしたらポルトガル)から来た、たぶんメリノウール、ということになります。

それだけの話のために、延々と語ってしまい、本日も大変失礼いたしました。

出典:

http://quatr.us/clothing/wool.htm

https://www.thoughtco.com/wool-the-common-cloth-1788618

【ナンデモ歴史54】「直虎」現象とは何か ー メディア戦略の観点から

そういうわけで、最近大河ドラマにドハマリしているのですが、ツイッターを追いかけていてナルホドと思ったことがあります。

今回の「おんな城主直虎」は、メディアでは視聴率が悪い悪いと叩かれる一方、ソーシャルや関連CDの売上では「超人気」になっています。これは、これまでの大河ドラマ、例えば「平清盛」などもそうでしたが、ますますこの乖離が激しくなっているように見えます。本日はこの乖離現象について、考察してみます。

まず、大河ドラマは、NHK総合の本放送の前にBSでの放送があり、再放送もあり、録画もでき、ネットでのオンデマンド視聴もでき、視聴者が分散するので、本放送の視聴率はあまり意味がない、ということが言われます。それが一つの前提。

NHKの情報公開によると、「直虎」に「厳しい評価」をしている層は圧倒的に60-70代の男性、一方「良い評価」をしているのが圧倒的に20代以下-40代の女性であり、当初やや厳しい意見が多かった流れが変わったのは4月の「徳政令の行方」の回からだった、というのにとても興味を惹かれました。(このデータは6月現在なので、最近の動きは含まれない)

これは、好評の理由が「女性がイケメン俳優を見たいから」ではない、ということを示しています。もしそうであれば、高橋一生が出始めたもっと早い回に変化が現れるはずで、もう一人のイケメンキャラである三浦春馬はこの頃、すでに退場しています。

もう一つツイッターで気づいたのは、無名ということでしばしば批判される「直虎」という女性キャラクターを、放送開始より前から知っていた固定層があった、ということです。つまり、「戦国系ゲーム」であります。だからNHKは、ゲームの音楽でよく知られた菅野よう子さんをこのドラマで起用したのでしょう。

また、あの衝撃の「嫌われ政次の一生」の構図が「ロンギヌスの槍」であるという話を前々回書きましたが、これは「エヴァンゲリオン」で超有名なのだそうです。そういうわけで、この大河は、このあたりのカルチャーに何かとフレンドリーです。

私はゲーム方面はよく知らないのですが、こうした戦国系ゲームはけっこう女性のファンが多く、「歴女」とよばれる、と理解しています。彼女らは、ネットでソーシャルをやる人たちでもあります。そして、今回の直虎の物語は、断片的な史実以外はそもそもどこにも存在しないので、歴女達にとっても、次の展開が全くわからない「新しい物語」です。

NHKは、これらをわかった上で、若い女性でゲームや歴史が好きな人を「コア層」としてターゲットにしている、ということかと思われます。もちろん、中味としても、女性の共感をよぶ心情描写や美しい画面などが満載です。(花や動物を効果的に使っていますね!)

すなわち、いわゆる「テレビ離れ」しているこの層を取り戻す、ということをNHKが狙ってやっている、と私は思います。彼女らは、仕事や家庭で忙しいし、そもそもテレビを見る習慣がないので、必ずしも本放送をリアルタイムで見ることができず、分散して、いわゆる視聴率は低くなります。ですので、視聴率が低いとメディアが叩いても、制作側はあまり気にしないでしょう。

昨年の「真田丸」も私は面白く見ていました。こちらは根っからのテレビっ子である三谷幸喜さんが、広い層に受ける、一回見てその場でわはは面白いと思える、とてもテレビ的な作品を作ったために、視聴率は高く出ました。

一方、今年の森下桂子さんは、「あれ?これってあの伏線回収?」とか「ツイッターではこういう解釈が出た」などと、積み上げた背景への理解がないと、ぱっと見て面白いとは思えず、「マス層」にはアピールしません。「難しい」というか、楽しむツボが違うというか、なのであります。

それでもいいのです。NHKは広告を売っているわけではないので、瞬間的な視聴率は関係ありません。より多くの人たちがNHKを見て、満足して加入料を払ってくれさえすればいいのです。おじいちゃんたちは、直虎をこき下ろしても、NHKを見るのはどうせやめませんので、心配ご無用です。

このあたり、ゲームもソーシャルも興味のない「テレビ系」のメディア記者たちには、理解できない部分でありますが、これはどうやら、NHKの「孔明の罠」の勝ちと私は思います。

番組終了後、あの衝撃の回以降も含めた全体の視聴者評価データを、ぜひ見たいものです。

直虎を見ていると、ネットフリックス最初のオリジナル作品として映像業界に大きな影響を与えた「ハウス・オブ・カーズ」を思い出します。あれを最初に見たときに、内容に衝撃を受け、またこれはマス向けのテレビでは絶対受けない、オンデマンドで、特定層の視聴者向けで、イッキ見や必要に応じて見返せるなどでないと無理だな、と思ったものです。直虎と似ています。

そして、加入料金方式のネットフリックスが目的とすることは、NHKと似ています。

それにしても、ネットフリックスで、直虎をやってもらいたいと切に思います。もちろん公表はされませんが、上で見たようなNHKの把握しているデータよりも、もっと大量に面白い視聴データが出ることでしょう。(ワクワク♡)それに、世界配信してくれれば、アメリカでもオンデマンドで見られるのにぃ。(NHKにも、全世界からライセンス料がはいりまっせ!カーン!)

ちなみに、これまで直虎よりさらに無名でゲームにもなかった「小野政次」というキャラクターが、最近どこぞのゲームに登場したようです。無名だった新選組の山南総長が、堺雅人の演じたイメージで定着したように、小野政次も高橋一生の演じたキャラクターとして今後も定着することでしょう。

【ナンデモ歴史53】井伊家末裔の献身

昨日の記事が思ったよりたくさんの方に読んでいただけたので、本日は便乗して持論をマニアックに語ります。ドラマの話は出てきませんので、遠慮して本日の告知ツイートは、ドラマのハッシュタグなしにしておきます。

政次が命がけで守った井伊家の命脈はその後徳川幕府で長く続きますが、その中でも最も知名度が高いのはなんといっても井伊直弼でしょう。

幕末の大老で、独断で米国と条約を結んで開国し、そのために桜田門外で攘夷派に襲われて命を落とします。というより、自分が殺されることを覚悟の上で、開国を強行したのでしょう。「朝廷の許可を得なかった」という点を攘夷派に糾弾されるわけですが、それにより天皇に責任を負わせることなく、攘夷派にとっては裏切り者となり、自分だけが責を負って死んでいきました。ちょっと、ドラマと似てますよね。

開国は、その時点では江戸幕府の存続という大義に反することをやったように見えますが、日本国というよりメタな視点から見ると、その後現在に至るまでの日本の繁栄の重要なスタート地点であり、井伊直弼はそのための捨て石になったと考えることができます。もちろん、ご本人はそこまで考えておらず、あとから振り返った結果論ですが。

このときに日本が開国を断行したというタイミングは、世界史においてものすごく重要だと思っており、かねてから私は主張しています。

すこし前、このブログでカリフォルニアの歴史を書いていたのですが、そのときに「アメリカと日本は意外に同期している」ことに気づき、この2国にドイツを加えた3国を「第四世代文明の同期生」と名付けました。

(簡単に言うと第1世代は伝統的な農業ベースの経済、第2世代はアービトラージを富の源泉とする通商経済、第3世代は初期の製造業+植民地を原料供給地とキャプティブ市場の両方に使う植民地経済、そして第4世代は大きくて豊かな国内市場をベースにした自律的経済、です。えらい経済学者の説でもなんでもなく、私が言ってるだけ。)

19世紀後半は人類史上最大の技術の爆発期で、大きな発明や発見がものすごい勢いで起こりました。

エネルギーと動力の革新により、人やモノの移動距離と物量が飛躍的に増大し、製造業の生産量が増えました。これを最大限に活用できるのは、人口が大きく、かつ国内を単一市場として使える国です。19世紀の半ば、アメリカは南北戦争、ドイツは統一帝国の成立、日本は明治維新により、外国からの侵略でなく、その国の人たちが自ら血を流して、近代的な統治システム(=戦争時の動員力)と統一市場を確立しました。そして、これら3カ国が、徐々に当時の大国であったフランスやイギリスを凌ぎ、20世紀終わり頃に中国が台頭するまで、世界の3大経済となります。19世紀半ばという絶妙のタイミングでこれをやったおかげで、日本は先進国になんとか追いつくことができたのです。もう2ー30年遅れたら、ダメだったかもしれません。

もし、井伊直弼が命を懸けて開国しなかったら、どうなっていたでしょうか。

幕末ドラマで竜馬らが熱く語るような、「列強」が攻めてきて日本はつぶされる、という劇的なことことはおそらくなかったでしょう。幕府も朝廷も、「日本的」に何も決めず、ずるずる現体制を続ける。先進国からは放置プレイで、ときどき用事があるとやってきて、軍艦から大砲を撃って脅し、いろいろと譲歩をさせたり、だまして人をアメリカにつれていって鉄道建設などの奴隷労働をさせる*。おびえた庶民は、豊かな海岸沿いの土地を捨てて内地に逃げ、農地は荒れ、通商は縮小し、どんどん貧しくなる。欧米各国は徐々に権益を拡大して、日本人を虐げて甘い汁を吸う。

こんな感じでしょう。それが現実に起こってしまったのが当時の中国(清)でした。このために、中国は第4世代経済の波に乗れませんでした。日本がもしそうなっていたら、その後立ち直るとしても100年ぐらいかかったことでしょう。中国のように。

ということで、ドラマの空想世界での「政次の献身」の伝統が受け継がれていき、300年後に井伊家末裔の献身が日本国を救った、という半分現実半分空想のお話でした。

*マニアック注: 実際には、明治にはいってから井上馨が三井と組んで移民会社をつくり、アメリカに移民という名目の事実上の人身売買商売をやりました。しかしこれもタイミングよく、この時にはタッチの差で大陸横断鉄道はすでに完成していたので、日本からの移民は鉄道建設でなく農業に従事しました。まだダイナマイトもない時代ですので、鉄道建設は猛烈に悲惨過酷な奴隷労働で、太平天国の乱で流民となった中国人の「事実上の奴隷(年季奉公人)」が大量に連れてこられました。農業移民も苦労は多かったですが、それでも土地を獲得したり商店を興したりして成功する人も多くおり、資料を読むかぎり、鉄道建設よりはよほどマシだったと思います。

【ナンデモ歴史52】小野但馬守政次追悼〜激辛大河のベルばら世代的考察

私は歴女ですから、大河ドラマはけっこう見ています。アメリカでも、日本語チャンネルで一日遅れでやっております。

そして、「おんな城主直虎」33話は、ネットで騒然となっているので皆様もご存知のとおり。私も、(少なくとも私の中では)このドラマは歴史に残る名作となったと思っています。

とはいえ、これまでも「低視聴率」とバカにされてきたこの作品、今まで批判し続けてきた方が今回もこんな批判を書いております。

http://biz-journal.jp/2017/08/post_20278.html

『おんな城主 直虎』高橋一生ついに退場!「神回」と絶賛されるも、目立つ粗に心配の声

確かに、「近藤がなぜ政次を処刑したのか」については、少々わかりづらいところでもあり、私もちょっとひっかかっていました。そもそも、ウィキペディアで「史実/通説」とされているものを読んでも、「井伊を裏切った」かどで徳川が政次を処刑するというのも変な話だし、井伊が恨みを持って処刑したのなら、なぜ彼の甥とその子孫を末代まで井伊の主要な家臣として処遇したのかもわかりません。このあたりの事情は謎なのですね。

でも、愛あふれるツイッター民の皆様のおかげで、脚本家さんがあちこちに仕込んだヒントがわかり、このお話の中では私なりに腑に落ちました。アメリカ時間で見てからもう2日経っているのに、歴女の血が騒いで仕事が手につかないので、この件以外の感想も含め、私的考察をここに吐き出してしまいたいと思います。

(1)寝返りのエビデンスと近藤のメンツ

まず、近藤が感情的に政次および井伊を恨んでいることが唯一の動機ではありません。確かに、過去の因縁もあるので「嫌い」ですが、それは遠慮なく「やっちまう」ことができる補助的な理由に過ぎません。

本当の動機は、「どさくさにまぎれて井伊谷を自分の領土にしたい、絶好のチャンスだ」という、この時代の武将のごく当たり前の行動様式でしょう。これは、政次が捕らえられたときに、近藤自らが言っています。(「これも世の習いだ、悪く思うな」)

その場合、近藤も今回あらたに今川方から徳川方に寝返るにあたり、本当ならば「寝返りますよ」という証文だけでは弱く、敵方の将の首というエビデンスが欲しいところ。直虎も政次も、当初の「プランA」では「関口の首」をお土産にする予定でした。

しかし、関口も寝返ってしまい、ちょうどよいお土産がなくなってしまった。32話で政次が、関口の家来が引き上げたという話を聞いて、顔を曇らせたのはそのためでしょう。彼は「最悪の場合、自分の首が必要になるかも」とこのとき思ったのではないでしょうか。

さらに、近藤が、家康自身に「切り取り次第」を認めさせるためには、何かしらの大義名分が必要でした。(家康は前回、近藤が政次のことをけなすのを聞いても、「じゃあ井伊を攻めて切り取ってもイイヨ」とは言いませんでしたし、今回も近藤のヤラセを疑っていました。)

それで、近藤は「今川方である政次が徳川(≒武田)に弓を引いた。徳川に味方すると言ったのはウソで、ヤツは大嘘つきの二重スパイであった」とでっちあげ、その首を今川の将の首として、寝返りのエビデンスにしようとした、ということだと思います。(そして、先を急ぐ家康も、疑っていながら近藤に丸投げせざるをえなかった。)

過去の遺恨は材木の件などの「ご近所のイザコザ」程度ですが、この局面でもし直虎と政次が逃亡したり、ヤラセが露見したりすれば、今度こそ近藤のメンツおよび立場へのダメージははるかに大きくなります。そうなれば、近藤は徳川≒武田から自分が責められたくないので、口封じのためにも本気で井伊に攻め込むでしょう。井伊には、どうやらまとまった武力は龍潭寺の僧兵ぐらいしかないようで、とても勝てない。蹂躙されてしまう。そこまで考えて、政次は、近藤のでっちあげストーリーにあえて乗ることにしたのでしょう。

要するに、関係者全員が、近藤のヤラセも政次の立場もうすうすわかった上で、出来レースをやっているということになります。この時代、武力がないということは残酷なことです。

(2)近藤の正当性をくつがえす

近藤は、直虎と政次がつるんでいることは前から見破っていたでしょう。徳政令の話のときに、今川館で政次が「井伊が困ると自分には好都合」と言ったのに対し、「好都合、でござるか?」と疑っています。さらに、直虎は家康に対してすでに「政次は味方」と宣言してしまっています。

ここで「今川方の首」として差し出す政次と直虎は同チームで、直虎も実は今川方だと主張すれば、井伊家が旧所領を安堵してくれという話も潰すことができ、近藤は自分が乗り込むことを正当化できます。

直虎チームとしては、「近藤が正当性を持ってしまう」ことを阻止するためには、政次と直虎の立場を切り離すことが必要になってしまいました。井伊はちゃんと徳川に恭順するつもりだったのに、政次が裏切っただけだ、井伊はちゃんと処遇しろ、と言えるようにしておかないといけません。

それで、「大河史に残るラブシーン」との呼び声の高い、罵倒合戦という命がけの大芝居をうちました。それがなければ、近藤の井伊への侵攻は止められても、井伊の本領回復ができなくなります。

ドラマでは見えませんが、磔にするのは見せしめの意味ですので、川のこちら側に、見物人がいたかもしれません。見物人はもともと直虎びいきの井伊の住民ですから、その場面を見て、「直虎あっぱれ、やはり直虎にうちの殿様に戻ってほしい」と思ったことでしょう。

このあと、能面の顔になった直虎が近藤に、「鏃のない矢の件は黙ってやり、近藤を功労者と言い伝えてやるから、井伊の旧領を返せ」と迫ったりでもするのでしょうか?楽しみです。

(3)家康に貸しをつくった

この時点で、徳川はまだ弱小の豆狸であり、信長に踏んづけられたり信玄に書状を鼻紙にされたりしています。家康が今回、土下座後ずさりで直虎を見捨てざるをえなかったのも、大ボス信玄の「早く来い」というお下知に背いたら、自分自身があっという間に鼻をかんで捨てられてしまうからです。

その中でおこった、この一連の悲劇のおかげで、家康は井伊に大きな借りを作ることになってしまいました。このあと、築山殿の件もあり、井伊への「借り」カウンターはさらに高速回転します。

その後の家康の井伊直政(虎松)への扱いが「破格の厚遇」となっていくのは、そんな心理的負い目もあるのかな、と想像します。直親を見殺しにしたという罪悪感を背負っていた政次は、こんどは自分を見殺しにしたことを「家康への貸し」として押し付けたわけです。どこまで意図したことかわかりませんが、彼は、「新参者」「外様」であった井伊家が、徳川でのし上がり、徳川幕府が終わるまで300年近く続くための捨て石になった、と考えると楽しいです。

結果的には、大企業の織田や武田でなく、早いラウンドでベンチャー企業徳川に投資(貸しですが・・・)して、その後大化けしてよかったね、ということになります。

ただ、なぜ、斬首や切腹でなく磔だったのか、についてだけは、演出上の都合だったのかな、とも思いますが。

(4)革命家の甘美な陶酔

なお、このときのふたりの心情については、もう語り尽くされているので、詳細は略しますが、一つだけあまり言われていないことを付け加えておきます。私は、ある意味で「革命家の甘美な陶酔」のようなものを二人だけで共有していたというふうに考えたいです。

ベルばらがあれだけ劇的なのは、オスカルとアンドレが「共に革命に身を投じた」からです。単に同じ理想、というより、「革命」という言葉にはなんとなくエロティックな、自己陶酔するような風味があるので、あえてこの言葉を使います。

ドラマではそれよりもはるかに規模の小さなレベルではありますが、直虎と政次は「同士として共に今の悲しい世の中を変えたい、そのために自分は地獄に落ちてもよい」という情熱を共有していました。その対象がイデオロギーではないので革命とは呼びませんが、彼らが目指したのは、穏やかな里の風景や、陽の光の中で打つ囲碁が象徴する、「人々が幸せに暮らす、ふるさとの安寧」ということで、目指すところはある意味で同じです。それは、江戸時代の歌舞伎のような「お家大事、お家に対する忠義」というイデオロギーとは違い、また普通の恋愛とも違います。(恋愛感情も、多分に混ざっていたとは思いますが。)

そして、一人で黙って悪者として死んでいった「樅の木は残った」の原田甲斐と違って、ふたりで一緒に地獄に堕ちるのだから、ますます甘美ですね。

(5)聖ロンギヌスの槍

ツイッターでこの言葉を見かけ、調べたら面白かったので、画像にはこれを使いました。

キリストと聖ロンギヌス - フラ・アンジェリコのフレスコ画(15世紀)

キリストと聖ロンギヌス - フラ・アンジェリコのフレスコ画(15世紀)

 

現在のオフィシャルな聖書には「ロンギヌス」という名前は出てこず、ただ「ローマの兵士の一人が、十字架上のキリストを槍で刺したら、血と水が一滴流れ落ちた」というだけです。なので、私はこの話は知りませんでした。

しかし、聖書にはたくさんの「外伝」があり、その一つにこの兵士の名前がロンギヌスとあるそうです。彼はもともと盲目で、キリストの返り血が目に入って見えるようになり、改心してキリスト教布教を行ったことで、その後聖人に列せられ、その槍は勝利をもたらす「聖遺物」という伝説になって人々が探し求めたといいます。

日本では、ゲームの中でよく知られているものらしいです。

槍をさす構図や、直虎の尼頭巾に一滴だけ飛び散った血の飛沫が、この逸話を思い出させるようです。

前回32話の、小野家臣団の前で振り返る政次という構図が、レンブラントなどのオランダ絵画のようだという指摘もありました。

なにしろ、歴女的にはとても心躍る大河ドラマであります。