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【記事掲載のお知らせ】ホールフーズのもろもろ

このたび、ビジネス・インサイダー・ジャパンに寄稿することになりました。第一弾は、ホールフーズの件です。連載ではなく、随時寄稿となります。よろしくお願いします。
https://www.businessinsider.jp/post-34472

アマゾンが買収したホールフーズ創業者は「オーガニック運動」実践者でリバタリアン

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「売らないドレス屋」に行ってみた

相変わらず、日本でもアメリカでも、大型小売店舗がダメダメという報道をあちこちで見かけます。

かく言う私は、友人に勧められ、昨夏頃から「洋服の定額制オンラインレンタル」というサービスを利用しはじめて以来、お店で服(下着以外)を買うことがほとんどなくなりました。

そして先週、女子会仲間と連れ立って、サンフランシスコに「ファッション・ショッピング」に出かけましたが、行き先はそういうわけで「売らないドレス屋」2店。

ひとつは、Rent the Runwayという、普段着・ドレスの「月額定額レンタルサービス」。手元に3枚まで持っていてよい、という制限があり、何回返してもOKという、NetflixのDVD郵送レンタルと同じ方式です。詳細は、渡辺千賀さんのブログに書いてあるのでこちらを参照のこと。パーティドレスのレンタルから始まって、現在は普段の仕事着やリゾート着などもそろっています。

さて、このレンタルサービス、本拠はニューヨークで、それ以外にも全米いくつかの都市に「ショップ」を持っており、最近サンフランシスコにもオープンしたので、行ってみたわけです。場所は、ユニオンスクエア近くの高級デパート、ニーマンマーカスの一角。ぱっと見普通のブティックのようですが、要するに「試着オンリー」。カウンターで借りているものを返したり、注文済みのものをピックアップしたりもできますが、基本的にレンタルのトランザクションはネットでやらねばなりません。ただ、(たぶん予約しておけば)ドレスなどを「その場で借りる」ということもできるらしいですが。

そういうわけで、置いてある洋服はそれぞれ一枚(つまり一サイズしかない)で、店に在庫はありません。試着といっても、自分のサイズがあるわけではないので、小さすぎるのを無理やり当てたり大きすぎるのをつまんでみたりしながら、想像をはたらかせます。それでも、やはりネット上で見るだけよりは自分に似合うかの感覚はわかる、まさにショールームというわけです。

もうひとつの行き先は、MM Lafleurという、オンライン・ブティック。こちらもニューヨークの会社で、オンラインで自社ブランドの服(仕事着ぽいものが多いが、体にやさしくフィットして着心地がよい)を売っていて、ショールームをあちこちの都市で行脚しており、ときどきサンフランシスコにもやってきます。ここも試着オンリーで、自社ブランドだけなのでチョイスも少ないですが、サイズは大体そろっていて自分のサイズを試着できます。スタイリストさんに希望を言うと、いろいろ見繕って持ってきてくれて、買いたいものがあれば、その場でオンラインオーダーを入れてくれます。基本的には予約が必要ですが、私はこれまで2回とも、友人の予約に付き添いでついていって、それでもついでに試着させてくれます。店では、シャンパンまでふるまってくれる、本当に「サービス」ビジネスという感じです。

こうやって考えて見ると、トラディショナルな小売店というのは、上記のような「サービス」の部分に加えて、在庫を持っていなければならない、という重荷があります。販売のトランザクションの手間ももちろんあります。それがない、「スタイリストが試着だけさせてくれるサービス店」というのは、大幅に小売店のコストを軽減することになります。デパートのパーティドレス売り場では、返品率が異常に高い(パーティで一回着て返品する人がものすごく多い)という話もあり、デパートはパーティドレス売り場はやめたいらしいので、それよりはレンタルのほうが理にかなっています。最近はeコマースの配達部分の人が雇えなくてコストが上がり、困っているので、その問題はありますが、別の部分に課題が移行する感じ。

千賀さんのブログにあるように、このビジネスモデルが果たして長続きするのかどうか、まだわかりません。ただ、「小売業」の役割のうち、かならずしも「陳列・在庫・販売」のセットを全部そろえていなくても、バラして役割を持たせるというモデルも、試されているということになります。私としては、千賀さん同様、レンタル・サービスをありがたく満喫しているので、ぜひなくならないでほしいところです。

國領二郎著「ソーシャルな資本主義」と私の本の関係

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4月25日、ニコ生「ゲキBizチャンネル」にて、慶應大学の國領二郎先生と新刊記念対談を行う予定。その予習を兼ねて、國領さんの近著「ソーシャルな資本主義」を読んだので、対談の準備を兼ねてメモしてみる。 1) 似てる・・

この本が出たのは先月3月15日、読んで「え、これヤバい」と思ってしまった。いや、最近の若い人のいう「ヤバい」ではなく、私達の年代の意味での「ヤバい」。私の本が「この本のパクリ」疑惑を招きかねないほど、いろんな点で似ている。

特に、結論部分で國領さんが「信頼」、私が「志」と呼んでいるモノ。あるいはプライバシーに関する考え方。あるいはひとつの産業構造の終わりという考え方。しかし、もちろんパクリではない。國領さんも同じようなことを考えている、というより、ネット業界の心ある人は皆、同じように考えているのだと思う。一つの大きな現象を、國領さんは「つながり」という面から、私は「データ」という面から眺めて話をしているだけだ。

2) 産業構造の終わりとアウフヘーベン

私は大学生などへの講演の中で、1950年代頃成立した「大量生産・大量消費」の経済エコシステムが緩み、新しいものに代わりつつある、という話をよくする。そのエコシステムは非常にうまくできていて、今も実は大きな部分はそのシステムに依存しているのだけれど、簡単に言えば「規格品の大量生産(=低コスト生産)→トラックによる大量輸送(=市場の広域化)→大型スーパー(=郊外型立地)→大型郊外住宅+車依存ライフスタイル+テレビによる全国一律マス広告→ますます大量生産が可能に(最初に戻る)」という循環構造をとる。日本でもある程度はこれと同じだが、アメリカは極端にこのパターンが発達している。しかし、70年代石油危機のときに、このコスト構造を支える石油の価格が上がって支えきれなくなり、以来この構造は少しずつ緩んで崩壊しつつある。エコ志向、都市回帰、大規模安売り店舗の苦戦、アメリカ自動車産業の落日、テレビ離れなどの現象は、いずれもこの大きな「崩壊」という流れの一部である。

私は、ビッグデータ現象を重視した理由として「供給爆発による技術革新」を本の中で挙げており、産業構造においても「産業素材の供給と需要」の関係に着目して上記のように説明しているが、一方國領さんはこれと表裏一体の関係にある「切れた関係とつながる関係」に着目し、同じように「大量生産・大量消費」エコシステムが終わり、別のものに代わりつつあるという話をしている。

「所有と販売」を基礎にした経済構造から、「シェアと利用」の経済構造へと移行する、そしてそのためには従来の規格品という仕組みの代わりに「信用」をベースとした仕組みへと移行する。國領さんはそう説く。同じ現象の「つながり」部分に着目すれば、確かにそうだ。そして、國領さんは、「つながりが雪だるま式に増える」ことも指摘している。ここでも、何かが爆発的に増えている。

別の見方をすれば、「切れた関係」を前提とした大量生産・大量消費という現象は、アメリカを中心とした戦後の一時期の「特殊な現象」だったと考えることもできる。その世界から、昔のような、「顔」のつながった信用中心の世界へ、ただしそれより一つ高い段階へと螺旋型に戻る、ヘーゲルの弁証法でいう「アウフヘーベン(止揚)」だと考えると、これはなかなか楽しい。

3)プラットフォームと日本企業の再生

こうした新しい経済の段階において、日本企業も昔風の「モノづくり」だけに頼っているわけにはいかない。新しい世界はまだはっきりした形をなしていない混沌であるので、まだその中でプレイヤーとして勝ち残っていくチャンスがあるのだけれど、じゃぁどうやって、という方法論は一概にはいえず、それぞれの企業によって違うやり方があるだろうと思う。國領さんも、「プラットフォーム・プレイヤーになること」という原則は言っているが、「日本企業はどうすべきか」という、マスコミ的な粗っぽい話はしていない。この種の質問も、講演会などでよく受けるのだが、本当に答えられない。決まったパターンがない世界だから。だからこそ、希望もあるのだけど。

以上、少々まとまりがないが、こんなことを考えている。私の「ビッグデータの覇者たち」をお読みいただいた方は、ぜひこちらも読んでみていただきたい。