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【ベイエリアの歴史43】ジャニス・ジョプリンのいたサンフランシスコ

さて、その1960年代のサンフランシスコといえば、ヒッピーの聖地でありました。

私はイーグルマニアではありましたが、60年代の音楽はリアルタイムでは体験しておらず、ジャニス・ジョプリンといっても、(1)名前の響きがやたらかっこいい、(2)ヒッピーとかウッドストックとかそのへん、(3)ドラッグで若死にした、という3点しか私的には認識しておりませんでした。ウッドストック(ニューヨーク北部)のイメージが強いので、東海岸にいたのかと思っていたところ、実はばりばりのサンフランシスコ音楽でした。

というのがわかったのは、ネットフリックスで「History of the Eagles」を先日見たために、今度は「Janice: Little Girl Blue」というドキュメンタリー映画がオススメされて、これを見たためです。

ジャニスはテキサスの生まれですが、変わり者で、地味な顔立ちで、今で言う「コミュ障非モテ」であり、学校では「ブス」や「ブタ」などと言われてひどくいじめられました。テキサスの大学を離れてサンフランシスコに流れてきて、そこで初めて自分が暖かく歓迎される「居場所」を発見しました。

50年代、すでに「ビート」「ビートニク」などと呼ばれる、前衛的な詩・文学の潮流が勃興していたサンフランシスコのコミュニティでは、超越的な体験を得る実験として、種々のドラッグが使われていました。ジャニスはそのコミュニティの中で、ドラッグで体をこわしてテキサスにいったん戻ったり、婚約者に裏切られたり、故郷ではまたいじめられたりして、さんざんに傷ついて、音楽をやりながら、1965年にまたサンフランシスコに舞い戻ります。そこで、ジャニスはBig Brother and the Holding Companyというサイケデリック・ロックのバンドのリーダーに気に入られ、リードヴォーカリストとして参加します。このあたりは、現在のシリコンバレーで、なんとなくコミュニティができて人のつながりでベンチャーができ、コミュニティの中でそれを育てていく感覚と似ています。

60年代後半、思想的には「ビート」の流れを汲むカウンターカルチャーが、より派手なスタイルの「サイケデリック」カルチャーとなり、「サンフランシスコ・サウンド」とよばれるサイケデリック・ロックが誕生しました。今のサンフランシスコ日本町の西南端から通りを隔てたあたりにあった「Fillmore West」などのライブハウスを舞台に、ジェファーソン・エアプレーンやジャニスが加入したビッグ・ブラザーなど、ちょっと離れたパロアルトでは、グレイトフルデッドも頭角を現しました。特に、今ではもっぱら水族館で有名なモンテレイで1967年に開催されたMonterey Pop Festivalが、ジャニスにとっての大ブレークスルーとなりました。

彼らは、すでにヒッピーの聖地として有名になりつつあった「ヘイト・アシュベリー」、つまりHaight StreetとAshbury Streetの交わるあたりに住みました。当時まだ合法だったLSDがふんだんにありましたが、ジャニスはドラッグの誘惑と常に戦っていました。

ビッグ・ブラザーは、モンテレイの後、急速に全国的に売れましたが、その注目はもっぱら、ブルージーでパワフルなヴォーカリストであるジャニスに集まりました。「バックバンド」扱いにむくれたバンドのメンバーとの間で不協和音が起こり、1968年には追い出されて独立。1969年のウッドストック・フェスティバルでは、自分のバンドをバックにして出演しました。

ドキュメンタリーでは、この頃のジャニスについて、「舞台でパフォームし、大観衆の喝采を浴びているときだけが、気分が高揚して安心していられる時間であり、いったん舞台から降りて一人の時間になると、耐えられないほどの孤独と不安に苛まれていた」と描写しています。婚約者に裏切られたあと、安定して彼女を支える人とはついに出会うことができず、男女両方でいろいろなパートナーに依存しては離れる不安定な関係が続きました。そして、ついにドラッグとの戦いに負けてしまいました。

ジャニスは1970年10月、ハリウッドでレコーディング中に、ひとりぼっちでホテルの部屋で、オーバードーズのために亡くなりました。ジャニスの最大のヒット曲である「Me And Bobby Mcgee」は、彼女の死後に発表されました。まだ27歳、メジャーな活躍期間はわずか3年間しかありませんでした。

ヒッピーについては、また別の機会にもう少し書きたいと思っていますが、そういうわけで、当時のサンフランシスコは、そんな若いヒッピー達が住み着けるほど、チープなアパートがあったんだなー、などと思わず感心してしまいます。

【ベイエリアの歴史42】都市回帰のゆくえ、日本では?

日本では都知事選の関係で、「東京一極集中」vs. 「地方分散」の議論がネット上で飛び交っているようです。一方で、アメリカでは「都市回帰」が時代の流れになってきているな、という体感があります。

アメリカはもともと、土地が広くて人が分散している、というイメージが強いと思います。また、州の権限が強く「地方分権」の傾向も強くあります。ただ、それでも「都市」から「郊外」への分散というここ数十年の傾向は、そういったアメリカの「もともと持っている性質」とは違う力学が働いていると思います。

ひとことで言えば、1950-60年代の「モータリゼーション」です。当時、行政によるハイウェイの整備が進んだことと、石油メジャーによる石油/ガソリンの供給が増え、自動車産業がフル回転だったことの政治的関連は、よく知りませんが、まぁ間違いなくあったでしょう。この流れに乗って、大型トラックによる輸送の物流が中心となって、大企業が大量生産した食料や消費財が、郊外型の大型スーパーで大量販売され、ドライブスルーのファストフードが爆発的に増え、テレビでマス広告されるようになりました。人々は自動車を保有し、郊外の広い家に住んで自動車で通勤したり買い物するようになりました。

その結果、自動車を持てる中流以上の家庭と、持てない低所得家庭の間で、はっきりとした階級ができました。

例えばニューヨークでは、中心街のマンハッタンはビジネス街、そのすぐ外側で地下鉄で行き来できるハーレム、ブロンクス、クイーンズなどは低所得地域、ウォール街のプロフェッショナルなどは、さらに遠くの、自動車や料金の高い中距離鉄道でしか通勤できない、ウェストチェスター郡やコネチカットなどに住むのが普通です。(少なくとも、私が住んでいた90年代はそうでしたが、今はどうでしょうか?)

サンフランシスコでは、60年代公民権運動の時代に、「busing(バシング、バスで輸送する)」という、貧困地区の子供が富裕地区のレベルのよい公立学校に、スクールバスで通えるという仕組みを作りました。その結果、お金持ちが公立学校から逃げて学校全体が荒廃し、よほどのお金持ちなら市内の私立という選択肢もありますが、そこまでいかない中流家庭は郊外に逃げ出すことになってしまいました。

全米的にも、「都市内部(inner city)」というのは、「貧困地区」の代名詞となりました。

最近、いろいろなアメリカのシステムに歪みが出ているのは、こうした現在のエコシステムの大前提になっている「石油+モータリゼーション」というエンジンが、1970年代以降長期にわたって弱体化しているからです。一方で、90年代のネットバブルの時代に、シリコンバレーとウォール街に富が急速に蓄積し、その富を「都市」に投資して、荒廃したところをいろいろな手法で改造して美しくする「ジェントリフィケーション」が進行したり、環境対策や中東から輸入する石油に依存しなくてよいようにしようという米国政府の方針などもあり、特にわが地元のサンフランシスコでは「都市回帰」の傾向が顕著です。

少し前のブログに書いたように、列車・公共交通機関への注目が回復しているのも、その流れのひとつです。会社はシリコンバレーにあっても、住むのはサンフランシスコで、列車で通勤するというわけです。列車の駅の周辺は、以前はスラム街状態でしたが、最近は駅を改装し周辺に映画館やレストラン街を整備したオサレな「駅前繁華街」の建設が次々と行われ、いずれも大盛況です。私がシリコンバレーに引っ越してきたのが1999年で、その頃は子供を高速沿いのシネプレックスにアニメ映画を見に連れていきましたが、数年前にそこが廃止されて市内駅前の映画館に行くようになりました。今やリモートワークも普通にできるので、住む場所の選択肢も以前と比べてずっとフレキシブルになりました。

日本では、アメリカよりもやや遅れてモータリゼーションが起こりました。列島改造論は1970年代で、すぐに石油危機が来てしまい、列車の開発もその後も進んだので、アメリカほどのクルマ社会にはなりませんでした。それでも、あまりに東京になんでも集中しているために、今の都知事選候補の一人のように「地方分散」をポリシーとする人も多く、票田として大事なために「地方創生」なども行われています。

しかし、日本でも米国でも、もはや第一次産業に従事する人はごく少数しかいなくなり、「農地」に人を貼り付けていた時代のような人口の地方拡散はすでに不合理です。といっても、東京一極集中では産業のダイバーシティが実現しづらいので、私はいくつかの中核都市に異なる産業がそれぞれ群雄割拠しながら集中する「あちこち数極集中」が理想だと思っています。

サンフランシスコのジェントリフィケーションや都市回帰は、一方で以前から都市に住んでいた低所得住民が住むところを失うという摩擦も引き起こしており、このため住民がグーグルの通勤バスを妨害する騒ぎとなっています。何にせよ、すべてうまくいく話などないのですが、アメリカも日本も1950-70年代にできたインフラがそろそろ半世紀を経て老朽化する中、今のうちに都市にヘビーに投資する必要があると思っています。

【The Signal #15】花火とマルチチャネル無線

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話題のネットフリックス・ジャパンのオリジナル作品、「火花を見ました。ご存知、ピース又吉の芥川賞受賞作品の映像化です。「世界同時配信」なので、私のアメリカのアカウントでも普通に見られます。珠玉のアート系インディ映画が10本つながっているような、映画でもありテレビでもある、これまで日本では不可能だった新しいジャンルの映像作品が可能になった、との感慨しきりです。

「火花」は、美しい熱海の花火大会の場面から始まり、花火が重要な背景の役回りを果たします。夏の間、毎週のようにどこかの海岸で花火が上がっている日本の夏休みを懐かしく思い出します。アメリカでは、花火といえば7月4日の独立記念日、同じ日に全米で一斉に上がります。高台にある我が家からは、はるか遠くの小さい小さい花火が5ヶ所ぐらい見えます。花火師の人たちは、1年に一回しかない大ピークとそれ以外は全く稼働なし、という商売をいったいどうやって回しているんだろう、と、いつも不思議なのですが、なにしろ、現在の花火打ち上げはコンピューターで制御されており、マルチチャネル無線花火システムが使われています。

6月24日、Jonがモデレーターを務めたTelecom CouncilのDistributed Cloud & Mobile Edge Computing フォーラムでは、「クラウド・コンピューティング能力を、ユーザーに近いエッジに分散する」技術が話題でした。そこでのインフラベンダーの話によると、エッジのインフラは、「一桁ヘルツ」単位の精度があるそうです。つまり、1ヘルツあたりのデータ通信量が4ビット(4Gにおける常識的な数値)と仮定して、1チャンネルあたり5ヘルツなら20 bpsとなり、トラフィック量の非常に小さいIoTに必要な「十分狭い」帯域のチャネルをものすごくたくさんとれる、ということになります。

2G、3G移行時に比べて、4Gでは今ひとつテクノロジー業界へのインパクトが小さい気がしていますが、それはこういった「チャネル数のエコノミー」効果が以前に比べて小さかったからだと私は思っており、さてIoT時代への以降でこのエコノミー効果がうまく働いて世の中が変わりますかどうか。

「I love you」という短い文章のメールマガ上のエコノミクスの記事が出ていますが、そういうわけでWe love youと申し上げておきます。

イベント関係では、6月28日に、ジャパン・ソサエティのパネルでJonと海部、それにグーグルで「ナノディグリー」プログラムを運営するシャネア・キング・ロバーソンさんが対談しました。次は、7月22日、「US-Japan Innovation Awards」イベントが開催されます。Dropbox、日本初の「ユニコーン・ベンチャー」となったメルカリ、Women’s Startup Labの堀江愛利さん、元駐日米国大使ジョン・ルースさんなどが登場します。ぜひ、ご来場ください

海部

Friends,

July is here, and with it, San Francisco summer weather.  

Our panel on the on-demand economy on June 28 came and went. Many thanks to those who joined us.  Shanea King-Roberson with Google shared insights about their Android nanodegrees; Michi explained labor demographic differences between the US and Japan. In particular, we enjoyed this video from Google, showing a mother and daughter talking about learning how to become Android developers.( Photo to the right.)

Coming up next from the Japan Society and Stanford US-Asia Technology Management Center: theUS-Japan Innovation Awards, featuring Dropbox and Japan’s first unicorn, Mercari; keynote remarks from Ari Horie, founder and CEO ofWomen’s Startup Lab; a host of startups who will visit from Japan; and remarks from former US ambassador to Japan John RoosJoin us on July 22nd.

 July 4th happened (and we have proof!). A lot of fireworks were exploded, begging the question: what process do pyrotechnicians use? Do they wing it back there (likePippin and Merry at a hobbit party)?  We asked an expert (who still has use of all his fingers).  Regretfully, it turns out pyrotechnicians use multi-channel wireless firing systems.  Here's an example

In our last edition, we mentioned the Telecom Council’s recent Mobile Edge Computing forum, which essentially refers to putting cloud infrastructure at the edge of the cellular network, say, in a central office, i.e., very close to the user.  A panelist from an infrastructure provider mentioned something worthy of note here - that edge infrastructure is capable of single (digit)-hz precision. Let’s say a wireless carrier has 10 Mhz paired spectrum, meaning 10 MHz up and 10 MHz down.  Five hz precision, at 4 bits/hz (rule of thumb for 4G) would mean a channel *narrow* enough to support 20 bps, or low-traffic machine to machine applications. This could open the door to low-traffic (and potential high margin and sticky) and low-latency applications, like, say, autonomous cars. Something that got our attention. Hopefully this doesn't mean autonomous cars are a 5G thing.

The economics of “I love you” are getting some press. So, let us be clear - we love you.

- Team Blue Field

【ベイエリアの歴史41】ホテル北カリフォルニア

少し前に、スーパーのレジでローリングストーン誌「イーグルス特別号」を見つけて衝動買いして以来、イーグルス祭りのマイブームがまだ継続中です。

広告がひとつもはいっていないこのムックを裏表紙まで舐めるように読みつくし、2013年のテレビ・ミニシリーズ「History of the Eagles」をネットフリックスでビンジウォッチ、2009年刊のドン・フェルダー著「Heaven and Hell:  My Life in the Eagles」をオーディオブックで読破、過去のアルバムを聴きまくり、数多のインタビューやミュージックビデオをYouTubeで拾いまくり、といった具合に、1970年代には到底不可能だった、多様で深い情報を消費してくると、日本の田舎のティーンだった私には想像もつかなかった、当時の彼らの生活とロサンゼルスの「繁栄と頽廃」の様子が浮かび上がってきます。

前回の【歴史】シリーズに書いたように、アメリカ社会の枠組みは1980年代から大きく変わりますが、70年代はその序曲ともいえる時期でした。ウォーターゲート事件、ベトナム戦争敗北、そして1973年の第一次と1979年の第二次石油危機によって、それまでの「石油と自動車と大量消費」というエコシステムでどんどん高度成長していたアメリカ経済に急ブレーキがかかりました。当時日本にいた私には、イーグルスやディスコ音楽など、「楽しい」部分しか見えていませんでしたが、「現場」では、暗い雲がかかってきた未来から目を背けるため、その前に完成した仕組みと蓄積した富をつかって、ドラッグと金ピカ消費に突っ込んでいた時代だったのだ、と改めて思います。

例えば、「ホテル・カリフォルニア」のあの忘れられないギター・リフをつくったドン・フェルダーですが、この手記によると、幼少期、父親は機械工場で真っ黒になって奴隷のように働いてもたいした給料がもらえず、家族は非常に貧しく、その暮らしから抜け出すために、兄は弁護士となり、弟であるドンはミュージシャンとして成功したのだそうです。今から振り返ってみれば、彼の生まれ育った50-60年代は、こうした「アメリカン・ドリーム」成功譚が日常的に可能な時代でしたが、彼の成功が頂点に達した70年代以降、その夢が徐々に失われていきます。

アルバム「ホテル・カリフォルニア」の楽曲を、英語がだいぶわかるようになった現在、改めて聴いていくと、「太陽が海の向こうに沈んでいく」ような、詩人ドン・ヘンリーの手による言葉の風景が次々と目に浮かんできます。彼らはそんな南カリフォルニアの生活と文化を、揶揄と憧憬と諦観が入り混じった表現で歌っています。

アメリカは、そんな「終わりの始まり」の時代を、完成度の高い音楽に定着し、世界的なポップ文化の金字塔として残すことができて、ラッキーだったと思います。この時期のロサンゼルスの繁栄と頽廃は、文化的にも歴史的にも、日本のバブル期と似ていると思うのですが、日本のほうは残念ながらイーグルスに匹敵する「作品」として結実したものは私には思いつきません。

さて、南で「ホテル・カリフォルニア」が発表された1976年、まだまだヒッピー文化が色濃く残っていた北カリフォルニアでは、アップル・コンピューターが創業しました。歴史的には、南より北のほうが、早く都市が形成されたのですが、産業の興亡においては、現在に至る「北」の繁栄はもっと最近の事象です。

時代的にいうと、90年代の「ネットバブル」がひとつのエポックでしたが、現在までも、景気循環を繰り返しながら、だんだんと「繁栄と頽廃」のサイクルが盛り上がっているような気がしています。かつてのような「ドラッグと金ピカ」の替りに、高いお値段のモダン風の家で「ケールとキノーラ」を食べながら、ベンチャーキャピタル用語を駆使してネットワークし、いい大学に入れるために子供をアフリカでボランティアさせ、野生動物を保護する非営利団体のパーティに盛装して出かけて・・といった、シリコンバレーの「ヒップスター」文化は、ますます勢いを増し、そのサークルの外側にいる人達との軋轢はますますひどくなりつつあります。しかし、この地に20年以上住んで、ヒップスター的なものに憧憬をもってきた自分自身も、(ライフスタイルはお金が足りないのでそこまでできませんが)この価値観にどっぷり漬かって、容易にぬけ出すことはできない、と感じています。

「Throwing rocks at the Google bus」という本を、今、読み始めています。この現象を「頽廃」と呼ぶべきかどうかはなんとも言えませんが、新しい豪華なオフィスビルの入り口に佇んで、「You can check out any time, but you can never leave」という謎めいた歌詞と、「ホテル北カリフォルニア」ということばが、ふと浮かんできたのでした。

【ベイエリアの歴史40】アメリカの大統領選の海部流まとめ

アメリカの大統領予備選で、民主党もヒラリー・クリントンがほぼ確定しました。今回の大統領選は大荒れですが、改めてきわめておおまかに整理すると、こんな感じになると思います。

共和党が右、民主党が左、という伝統的なイデオロギー対立が1990年代には弱まったため、左右2象限ではなく、こんな4象限に分裂した感じになっています。

右側の共和党は、以前からこの上下の分裂がはっきりしていましたが、右上の伝統的富裕層と右下の保守白人庶民の間では「保守キリスト教思想」という共通項が接着剤の役割を果たしていました。90年代にはいり、共和党の言うことが堕胎禁止のような「え?そこ?」と言いたくなるヘンな争点ばかりが前面に出るようになって、一体何がどうしたんだ?とずっと疑問だったのですが、「共産主義の脅威」がなくなって、上下をつなぐ接着剤がこれしかなくなってしまったから、という町田さんの話でようやく腑に落ちました。

アメリカの大統領選はとてもお金がかかるので、お金を持っている人たちの意見が通りやすく、このため共和党の幹部は右上のお金持ちの人たちに有利な政策をとってきました。前回選挙のときの共和党候補、ミット・ロムニーはまさに右上の人たちを体現していました。それでも、接着剤のおかげで右下の人たちがついてくる、はずでした。

しかし、80年代あたりからの数々のサプライサイド的なお金持ちに有利な政策の結果、所得格差が拡大し(このあたりは、最近読んだジョセフ・スティグリッツ著「Rewriting the Rules of the American Economy」という本によります)、さすがに右下の層の人たちが反乱を起こし、右上の人たちからお金を貰わなくていいトランプに群がりました。一方で、共和党幹部もここ2回の選挙敗北で、人種マイノリティや女性を取り込まなければいけないと焦り、マーコ・ルビオのような、あまり典型的ではない候補者を立てようとしましたが、結局絞りきれずに乱立して右下のトランプに吹き飛ばされてしまいました。右上の人たちは、マイノリティ候補者に納得しない人が多かったりして内部で合意ができず、バラバラだったのでしょう。

一方、民主党はかつては労働組合・人種マイノリティが主流で、これにリベラル思想インテリ層が乗っかっている感じでしたが、90年代のバブル以降、ウォール街のバンカーやシリコンバレーの起業家・投資家が大儲けできるようになりました。これらの人たちは、「リベラル思想インテリ層」に該当し、また人種マイノリティも多い業界ですので民主党支持であり、最近はむしろ民主党支持者のほうが「お金持ち」の頭数は多くなってしまったのではないかと思います。(持っているお金の総額はわかりませんが。)

しかし、こういった左上の人たちも、上記のサプライサイド的政策の恩恵でお金持ちになった人たちであり、「マイノリティ」は仲良しだけど「貧困層」にはあまり同情できないタイプの人たちです。クリントンが「ウォール街と癒着している」とサンダースが攻撃するのがまさにこの点です。民主党政権の間も同じように格差拡大が続きました。

「下」の反乱の受け皿という意味では、バーニー・サンダースはドナルド・トランプととても似ています。ただ、彼の場合は自身がお金持ちではなく、特に初期の頃にネット選挙戦略で卓越して若年層の支持を集め、お金もオバマが切り開いた「ネットで少額のお金をたくさんの人から集める」手法を採用しました。話題を集めたオバマのネット選挙戦の手法を最も忠実に継承したのがサンダースでした。

また、両者は「誰を悪者にするか」が違っています。トランプは、どうせ選挙権などない「外国」が悪者としてちょうどいいので、「グローバリゼーションのせいで君たちは貧乏になったのだ」と言います。一方、サンダースの言っていることは上記のスティグリッツの本そのまんま(というか彼の説を下敷きにしている?)で、「銀行や製薬会社の権力濫用が悪い」と主張します。

こういった下々のドタバタを超越していたのがヒラリー・クリントンでしたが、サンダースの意外な善戦に苦しみました。それだけ、格差社会の問題がアメリカで深刻であるということの表れです。しかし、サンダースはどうしても女性やヒスパニックなどの人種マイノリティに人気がありませんでした。この辺りの理由は、私にはまだよくわかっていません。このあたりも含め、民主党の上下分裂は、最近顕著になってきたとはいえ、共和党ほど激しくなく、やや混沌としています。

それにしても、そういうわけで共和党はまさに崩壊の危機に面しています。トランプが大統領になってもならなくても、党の分裂など、重大な危機を迎えそうです。

ヒラリーについてはまた別途書こうと思いますので、今日はこのへんで失礼します。

【The Signal #13】アプリ経済の「利益なき繁忙」

<Bluefield Strategiesのニュースレターとして配信されたものです。配信ご希望の方はこちらからどうぞ。>

「アメリカでモバイル・アプリは儲からない」という事実は、以前からよく知られています。その昔、日本ではiモードでドコモが11%しか分け前を取らないというのは「神話」の域で、アメリカではモバイル・キャリアが半分以上取っていくのが普通でした。iPhone登場時、アップルが「30%」というのはとてもありがたく、iPhoneに開発者があれだけ群がったのも「地獄に仏」だったからです。少しは良くなりましたが、それでも厳しい「利益なき繁忙」が続いています。

最近の大ヒットゲーム、GLU Mobileの「Kim Kardashian: Hollywood」ですら事情は同じ。発売以来2年近くたつのに、今でも「Top 10 grossing adventure game」(AppAnnieによる)にランクインしていますが、配信パートナー(アップルまたはグーグル)に30%支払い、残りをカーダシアン家(歌手でも俳優でもないがなぜか有名な「セレブ一家」)に「ブランド」料として折半すると、粗利はわずか35%しか残りません。

そのため、ゲーム各社は外部のブランドではなく、自社キャラクターにユーザーを移そうと躍起になります。LINEが儲かっているのも、スタンプを外部の有名キャラクターではなく自社開発にしたから、とも言えます。自社キャラものと合わせて、GLUの粗利率は57%です。Adobe(84%)よりも、ハードメーカーのfitbit(48%)に近いですね。

音楽配信アプリは、「自社開発コンテンツ」というものがそもそもありえない世界なので、ますます厳しいわけです。少し前に、Pandoraが身売り先を探しているというニュースが出ましたが、成長著しいSpotifyは「過去最大の赤字だがそれはグッドニュース」(赤字が売上のパーセンテージとして減ったから)という皮肉な状況。

Pandoraの粗利率は40%で、これも上記fitbitやApple(40%)というハードメーカー並みのレベル。Spotifyは売上の84%をアーティストに分配しているので、粗利率はもはや卸売業(例えばAvnetの11%)のレベルです。

永遠に投資家から資金調達し続ける会社があるから、ユーザーは音楽=無料と思う世代が育てられると十分考えられる。それはSpotifyの大きな長期的インパクトかもしれません。アーティストもライブでしかお金を稼げなくなっており、Pandoraがチケット事業に投資しているというのもなんだか皮肉です。

ところで、前回ここで「オンデマンド経済」に関するパネル・イベントをご紹介しましたが、日程が変更となりました。新しいスケジュールは6月28日、場所は同じDG717です。登壇者は引き続きMayfield FundとHackbright Academy、そしてJonと私です。早期割引チケット発売中ですので、ぜひご利用ください。

 – Michi

Friends –

App developers have long lamented app economics. And it *is* a hard business, even for developers of hit games. Take GLU Mobile’s hit game, Kim Kardashian: Hollywood. (What, you don’t play? Sure you don’t.)  Close to two years since launch, it’s still a Top 10 grossing adventure game, according to AppAnnie.  GLU shares 30% of gross revenue with its distributor (Apple or Google). Assume it shares 50% of what’s left with Klan Kardashian, that gives GLU a gross margin of 35%.  (In potentially related news, GLU is not profitable.)

GLU’s overall gross margin is 57%; hardware maker Fitbit’s is 48%; gaming giant Activision’s is 66%; Adobe’s is 84%. Music streaming company Pandora’s GM is 40%. (Also not profitable, although its core music streaming business is on a standalone basis.)  

So, to make those economics work, GLU needs to migrate users acquired through the Kardashian game over to other GLU apps with more favorable economics, preferably games that don’t need a revenue share with an IP holder.  At least, that’s the idea. Smurfs from Capcom is another example of this strategy.

Which gets us to this week’s flurry of news about Spotify. Hey, Spotify is losing less money as a share of revenue than ever before (Recode’s take) !   PrivCo provided this chart in its newsletter. A quick eyeball indicates that Spotify shares about 84% of revenue with artists. On the one hand, this seems good for artists. On the other hand, this makes Spotify’s gross margins more inline with distributor Avnet (buy low, sell slightly higher; 11% GM) than…GE (27% GM), let alone hardware companies Apple (40%) or Fitbit (48%). Or software companies like Adobe (84%).  Is this a sustainable business model?

There is a long-term potential impact of a company that can in essence infinitely raise investor dollars to condition users to expect music to be free, which is perhaps the more sinister long-term implication of Spotify. They may be the icing on the cake that ensures that artists can only make money through live performances.   Which could explain why Pandora is investing in the ticketing business.

 

In our last edition we wrote about an upcoming panel on the On-Demand Economy, featuring speakers from Mayfield Fund and Hackbright Academy, along with our own Michi. That has a new date – June 28, at Digital Garage’s San Francisco office, DG717.  Early bird tickets on sale now.  Look forward to seeing you there.

– Team Blue Field

【The Signal #12】オンデマンド経済について

日本から見ると、アメリカはオンデマンド労働がかなり普及している、女性リーダーが多いなど、「ススんでいる」と思われがちですが、実は「日本とアメリカは、欧州と比べ、基本的に同じ問題を抱えている」と最近感じています。先日、女性の働き方についてのオピニオンリーダーであるアンマリー・スローターさん(ヒラリー・クリントンが国務長官だったときの幹部スタッフ、元プリンストン大教授、現在はシンクタンクのCEO)の講演を聴きましたが、男性の「タイム・マチョ」(長時間労働を自慢する風潮)や、「ケア・ワークが金銭的にも社会的にも低く評価されている」など、いろいろと共感するところが多かったです。

オンデマンド・エコノミーも、そんな現象の一つです。「働き方スタイル」の変化は、モバイルやクラウドなどの技術を引き金として出現していますが、その底流には、日米共通の「今のやり方が合わない」という問題があります。ではオンデマンドがその究極的な回答であるのか、というと多分そうではないと思うのですが、さて、現状はどうなのか、何がよくて何が問題なのか。6/28に日程変更となったジャパン・ソサエティのパネルにて、共通の課題をかかえる、日米両国の状況を比較して、何か新しい見方ができるようになればいいな、と楽しみにしています。
– Michi

Friends –

Great Scott! It’s been a month since our last update. The good news is that gives us lots to talk about.

First, as mentioned last time, the Japan Society of Northern California will indeed host anInnovation Salon on the on-demand economy, June 28 at 5:30pm in San Francisco. Big thanks to our hosts (and Japan Society sponsor), Digital Garage, who have graciously provided their venue, DG717

Why this panel now? Japan has lots of underemployed temps, ready to be tapped into by on-demand services. Note the trend towards non-full-time hires as shown in the data below. Learn more on May 20.

 

Full-time and non-full-time workers in Japan

Speaking of Japan, we have a triple blast of UC-Berkeley news: Jon’s BerkeleyHaas MBA seminar on Japan starts this month; he has joined the UCB Center for Japanese Studies as associated faculty; and in the fall, will be set loose on a room of unsuspecting Haas undergrads for his first undergrad business course. Indoctrinate them while they’re young!

We call this newsletter The Signal, which is alternately defined as “a gesture, an electronic impulse, or an act that conveys information or warning”. It’s a broad, wonderful motif – it conveys the lightships of yore; San Francisco’s own Coit Tower and Telegraph Hill; fiber, of course; even the Beacons of Gondor. It is wonderfully evocative in what we see as the quest to connect all of us, be it the telegraph, be it the cross-country call, or the black and white Nokia candy bars of the 2000s. It’s a theme we’ll keep coming back to in this space.

Stay tuned..and connected. Hope to see you May 20th.
– Jon

【ベイエリアの歴史39】カリフォルニア高速鉄道はなぜなかなかできないのか

実を言うと私はかなり「乗り鉄」がはいっています。このため、カリフォルニア高速鉄道が早くできないか・・と心待ちにしているのですが、なかなかできません。

現在のアメリカは、都市構造やライフスタイルが自動車に最適化しているので、鉄道は合わないと思われがちですが、19世紀にカリフォルニアの大発展を支えたのは鉄道でした。このあたりの事情は、以前このブログにかきましたので、下記を参照してください。

ベイエリアの歴史(8) – 鉄道がやってきた

ベイエリアの歴史(9) – 日本との遭遇

しかし、そういうわけで現在は鉄道といえば「儲からない」というのが相場です。私鉄がちゃんと商売になっている日本でも、沿線の不動産開発も込みであって、運賃だけではあまり儲からないのではないかと思います。それで、アメリカの鉄道は自動車に負けて一旦壊滅状態となり、その後も民間ではなかなか進まず「政治がらみ」となり、それも「左寄り(民主党)」勢力が提唱する政策となっています。鉄道を含む公共交通機関は、「自動車を持てない貧乏人のための福祉」というわけです。カリフォルニア高速鉄道が最初に構想されたのは1990年代、現在また返り咲いているジェリー・ブラウンが最初に知事になった頃で、連邦政府も民主党のクリントンが大統領でした。

その後、自動車産業・ガソリン業界フレンドリーなブッシュ政権の間足踏みしていましたが、計画がまた脚光を浴びたのが2009年です。2008年のリーマン・ショック後、大統領に就任したオバマが打ち出した包括的アメリカ再建パッケージ「ARRA」の一環として、鉄道建設の補助金が含まれており、当時のカリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーがこの補助金を申請したのでした。(ちなみにシュワちゃんは共和党ですが。)

私は何かと「オバマはやはり頭よかった」とつくづく思うことが多いのですが、このARRAは実にインパクトが大きかったと思っています。経済再建が主目的ですが、そのための産業政策としては「環境にやさしい」ことを主眼として打ち出し、それは実は裏では「外国産の石油への依存度を低くする」という安全保障目的もあり、このために深く静かに、「脱・ガソリン自動車」へと世の中がシフトしていきました。ウーバーが2009年に創業したのも、この頃からテスラが大ヒットしたのも、「大都市回帰・ワカモノの自動車離れ」が始まったのも、こんな時代の流れの一環であり、「鉄道」もその一つでした。その後、カリフォルニア州知事がまた民主党のブラウンに戻り、引き続き鉄道建設計画を進めようとしているのですが、まだまだ障害が多く残っています。

最大の難関が「地形」です。縦長のカリフォルニア州は、おおまかに言って縦に3本ほどの山脈が走っており、地図上で左から(1)太平洋岸で海に迫っている山、(2)そのちょっと内側にある山、(3)ネバダ州との境目にあるシエラネバダ山脈、となります。カリフォルニアの2大都市、ロサンゼルスとサンフランシスコは、いずれも「港」として発達した都市であり、海に面しています。サン・フランシスコから南に向かい、(1)と(2)の間の谷が「シリコンバレー」となるわけですが、サンノゼからちょっと南に下ったあたりで(1)と(2)が接近して平地があまりなくなります。そしてさらに南に下ると、ロサンゼルスの北で(1)(2)(3)が全部合体してしまい、市の北側に屏風のように立ちはだかります。

高速101号線は、(1)と(2)の間を縫うように走っていますが、サンノゼの南側市街地を超えると、地形が複雑で道が曲がりくねって走りづらくなります。一方(2)と(3)の間はサンホアキン・バレーとよばれる広大な中央平原で、現在のカリフォルニアの大動脈であるインターステート5号線はその西寄りを縦断しており、交通量もとても多いです。このサンホアキン・バレーの東側、5号線とほぼ平行しているのが、鉄道王レランド・スタンフォードが作ったカリフォルニア縦断鉄道であり、現在も主に貨物車が走っています。この線路に沿って、州道99号線という一般幹線道路もあり、この道沿いはカリフォルニアの「農業銀座」となっています。「港」という「点」で西に面する2大都市に対し、内陸部は道路と鉄道で東へと陸路で続く「線」の交通システムになっていて、この2つのシステムが山脈で分断されているわけです。現在計画されているカリフォルニア高速鉄道は、この区間ではこの鉄道路線を活用することになっており、ここはそれほど問題はありません。

問題は肝心の2大都市の周辺です。まず、ロサンゼルスの北側の屏風山。その比較的低いところを高速5号線が通っていますが、山岳部分の走行距離はだいたい80kmぐらい、関東平野縦断ぐらいの感じです。鉄道は東に迂回してもっと山の幅が短いところを走る(下図黄色線のBakersfieldからSan Fernando Valleyあたりまで)ようですが、それでも山を完全には避けられません。当初は、中央平原とロサンゼルスを結ぶ区間を先行する予定でしたが、この難所をどうするかの技術的・予算的な妥協点がいつまでたっても見つからないので、「それじゃー、北側を先行させよう」という話になりつつあります。じゃぁ北はよいのかというとそうでもありません。中央平原からまっすぐ北のサクラメントまで延ばすならば、平原が続いているのでよいのですが、途中で分岐して西のシリコンバレー・サンフランシスコへ行こうとすると、どうしても(2)の山を超えなければなりません(下図黄緑線のGilroyから合流点まで)。山の険しさや山の幅はロス屏風山よりはマシですが、ここもトンネルを掘るのか上を超えるのか、どちらにしても相当な工事になります。現在この区間を通る一般幹線道路があり、道幅は広いですが、かなり曲がりくねった山道です。かといって、海側に高速鉄道を通せるような地形ではなく、どうしても途中は内陸ルートを使わなければなりません。

 

地形だけでなく、政治的にも問題があります。内陸部は中規模の都市は多くありますがそれでも田舎なので、鉄道が地域経済をより活性化すると期待されています。しかし、「北」ルートが都市部に突入するサンノゼあたりはかなり人口密集地で騒音が問題となり、また政治的にも高速鉄道賛成派よりもっと左寄りで「そんなもの作るカネがあるなら、地元民の足である市内交通網に使え」と反対する人も多く、この先すんなり行くとも思えません。というわけで、最初は需要は少ないけれど問題も少ない内陸部から工事が始まるようです。そうこうするうちに、万万が一共和党のトランプが大統領にでもなってしまったら、「貧乏人のための鉄道にカネ使うなんてやめてしまえ」と言い出しかねず、また政治プロセスが止まってしまうかもしれません。なんせ「政治」鉄道なので、そうすれば、また4年か8年か、政権が代わるまで待たなければならないかもしれません。現在の計画でSF-LA間が完成するのは2029年となっていますが、全くアテにならず、果たして私が生きている間にカリフォルニア新幹線に乗ることができるのか、本当に私には信じられません。

出典: Wikipedia

 

【ベイエリアの歴史38】サンノゼ州立大学のYoshihiro Uchida Hall

さて、久しぶりにベイエリアの歴史シリーズです。他のエントリーに合わせて、少々体裁を変更しました。

今日は息子のロボティクス試合の応援に、サンノゼ州立大学(SJSU)にいってきました。この大学はサンノゼ市街地のどまんなかにあり、カリフォルニア州立大(CSU=California State Universityシステム、UC=University of Californiaシステムとは違う)のひとつで、アップル、グーグル、インテルなど、地元の大企業への最大のソフトウェア・エンジニア供給大学として知られています。

この大学のもう一つの特徴は「ダイバーシティ」をとても重視していることで、現在も人種・民族がとても平等に混ざっているのですが、歴史的にも、かつて差別されていた日系アメリカ人に早くから門戸を開いていたようです。先日、サンノゼ日本町での地元コミュニティの方々とのミーティングのとき、SJSU出身者がとても多かったのが印象に残っています。

今日、試合の合間にキャンパスを歩いていたら、「Yoshihiro Uchida Hall」という名前の建物を見つけました。調べてみると、Uchida先生は、ご自身もSJSU出身で、1940年代からSJSUで柔道を教え、戦後アメリカで柔道を広め国際的なスポーツへと発展させた大きな功績のある方だそうです。体重別等級の仕組みを提唱し、1964年、柔道が初めて登場した東京オリンピックでは、アメリカ代表チームの監督も勤めました。彼のおかげで、アメリカ国内でSJSUはその後も無敵を誇っているそうです。現在は90歳を超えていらっしゃいますが、引き続き柔道の指導を続けられています。

Uchida先生が始めた道場のある建物がYoshihiro Uchida Hallというわけですが、当初は皮肉なことに、戦時中日系人収容所へ日系人を送り込むための書類を処理する事務所が置かれていた建物だったそうです。(Uchida先生ご自身は軍人として従軍、家族が収容所に送られました。)この建物は2014年に建て替えられ、大きなスポーツ・コンプレックスの一部になっています。

サンノゼ日系祭りのとき、「剣道のてんぷらの隣は柔道のうどん」ということで、私は前回のお祭りでは、剣道てんぷら屋で揚げ玉がたまると隣の柔道うどん屋に運びこむ係をやっていたのですが、侮ってはいけなかったようです。いや、別に侮っていませんが・・・(^^ゞ

(写真は、SJSUキャンパスに立つYoshihiro Uchida先生)

【女性経営者の系譜2】大塚家具、ヴーヴ・クリコ、そして「GJP」

昨日、フォーブスが「アジアの女性ビジネスリーダー50名」を発表、その中に日本からはDeNAの南場智子さん、大塚家具の大塚久美子さん、アート引越センターの寺田千代乃さん、トレンドマイクロのエバ・チェンさんの4名が選ばれました。

この4人には共通点があります。いずれも、創業者または創業家である、ということです。この点については、Newspicksでフォーブス・ジャパンの谷本有香さんも(おそらく選者ご自身で)指摘しておられます。

当シリーズの第一回でヴーヴ・クリコを取り上げましたが、大塚久美子さんもバーブ・ニコール・ポンサルダンの境遇と少々似ています。「嫁入り先」ではなく「生家」ですが、私がWidow Clicquotの本を読んでいる間、頭に思い浮かべていたのは、(当時まだ「あさが来た」が始まっていなかったので)あさちゃんではなく久美子さんでした。

この本によると、バーブ・ニコールが活躍した頃、なぜか突然、シャンパン業界では複数の女性トップリーダーが固まって出現したそうです。その理由として、著者は「家業が傾いたとき、女性が活躍するチャンスが訪れるというケースが歴史的に多い」と述べています。当時、シャンパン業界全体が危機にありました。このくだりを読んだとき、人口構成の変化にさらされている家具業界も長期的に「危機状態」であり、家業が傾いて久美子さんの活躍のチャンスが訪れたというパターンか、と思い出したというわけです。

そう考えると、「男性が見捨ててしまった衰退業界の家業」が女性経営者のニッチ、という、あまり楽しくないまとめになってしまいます。この点について定量的な研究を見たことがないので、本当にそうであると言い切れるわけではないのですが、実感的にはそれに近いものを感じています。

2013年に、母校一橋大学の女性卒業生・関係者が集まるフォーラム「エルメス」の立ち上げに携わりましたが、そのときに講演会のパネル出演者を探す中で、「普通の企業の管理職女性」というのがとても少なく、人選に苦労しました。もちろん全くいないわけではありません。たとえば高島屋の石原一子さんと肥塚見春さんが該当しますが、あまりに偉すぎて、女子会に毛が生えたような会にお呼びするなど恐れ多く、もっと「フツーの課長とか部長とかやってる仲間はいないのか?」と探したのですが、本当に少ない。みんないろいろな分野で頑張っているのですが、なぜかフツーの企業のサラリーウーマンではないのです。

私はこれを「GJP現象」と名づけました。Gは外資、Jは自営、Pはプロフェッショナル。ある程度の実績が外にも知られているような女性の仲間は、ほとんどこのどれかに当てはまってしまうのです。J(自営)には、大塚久美子さんのような「家業」、南場智子さんのような「ベンチャー」、そして私のような「フリーランス」まで含めます。P(プロフェッショナル)には、弁護士、会計士、編集者などが該当します。

企業内の女性のニッチとして、「4R」=人事HR、広報PR、株主対応IR、調査Researchというのがよく言われますが、これはどちらかというとアメリカ風で、日本の企業ではあまり当てはまらないように思います。

仕事のやり方やライフスタイルの点で、自分の裁量がききやすいところを探して居場所を築いてきた結果「GJP」になったわけで、女性のキャリア構築戦略としては「当たり」のやり方であったと言えます。しかしこの3つの分野だけではどうしても数はかせげず、ボリュームゾーンである「フツーの企業のフツーの管理職→幹部」という道が開かれないと、数多くの女性がフツーに仕事ができる環境にはならないと思います。

さすがに最近では、女性経営者・管理職が、一昔前のような「スーパーウーマン」でなければならないという雰囲気は脱してきており、若い世代では今後さらに「フツーウーマン」になっていくと信じています。しかし、昨日の「フォーブス」の記事で、「あ、大塚さんが選ばれた!」と喜ぶ一方で、改めて「現状はまだまだ」と打ちのめさるという、複雑な気分になってしまいました。

(写真は昨年4月、大塚家具ショールームの漆家具展示)