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【ナンデモ歴史56】イケオバたちの悪だくみ - メディアにおける「女性の老い」

引き続き大河ドラマ「直虎」について論じます。(シツコイ)

昨年の「真田丸」の萌えポイントの一つに、「イケオジたちの悪だくみ」があります。若いもんがマジメやっている陰で、悪いイケメンオヤジたちが悪そうにニヤニヤしながらなにやら企んでいるところが、たまりませんでした。草刈正雄さんの真田昌幸はご存知の大人気ですが、私的には近藤正臣さんの本多正信の寝たふりなども大好きでした。

今年の直虎は、信玄や信長のような、有名どころの悪いオヤジたちが「記号」としてシンプルに扱われている一方、怖カッコイイ「悪いイケジョオバサン」が、ブキミな存在感を発して活躍します。特に浅丘ルリ子さんの寿桂尼が凄くて、病身なのに自ら信玄に会いに行くなど奔走し、それをこれまでの時代劇にありがちな「滅私奉公」的な美談ではなく、「こうすれば哀れを誘って相手の譲歩を引き出せる」という謀としてやっている、というところがめっちゃ魅力的で、怖大好きでした。

先週登場の栗原小巻さんの於大の方がこれまたブキミで、楽しみにしています。山岡荘八「徳川家康」の於大の方は、まさに慎み深く滅私奉公な、昔風理想の女性の「記号」として描かれていて「ナンジャーコリャー、ケッ」と思っていたので、今回悪いイケオバとして描かれるのがとても嬉しいです。

考えてみれば、悪いイケオジというのは、日本のドラマでときどき登場するおなじみキャラでありますが、悪いイケオバというのはあまり思いつきません。年配の女性の描かれかたは、そういえば比較的画一的であり、「優しい/厳しい/健気な母/おばあさん」か、独身/子無しの場合は「頑張ってきたけど哀愁」的なパターンが多いような気がします。

一方、先日「20-30代の働く女性が、自分は老けたなと思うことが多い」という記事がありました。その背景として、現代の女性にとって「老いることはひたすら価値がなくなること、悪いこと、嫌なこと、怖いこと、避けたいこと」という刷り込みがあるように思います。だから、人から老けたと言わたくないので自虐にしてしまうとか、相手に「いや、そんなことないよ」と言ってもらいたいとか、無意識な「予防線」を張っていると思えてしまいます。

こうしたメディアの「決めつけパターン」の一つが、上記のような「年配女性キャラの画一化」であります。たとえ「美しく老いる」と言っているつもりが、その表現型は「美魔女」礼賛という、「見かけは老いない」という貧困な発想に行ってしまいます。(というか、そのための美容商品を売りたいという一面もあり。)

ですから、「直虎」における「魅力的な悪いイケオバ」はとても新鮮です。「自分がヨレヨレのバーサマであることに価値がある」と位置づける、その発想はなかったです。それは悲壮な決意でもあるのですが、したたかな逆転の発想とも言えます。

私自身は、老いることに逆らっても無駄なので、そこに抵抗するという無駄なエネルギーは使わない主義です。年齢を聞かれればさらっと答えるし、体力・気力の衰えを感じても、「あー自分はダメだ、もっと頑張らねば」と価値判断をせず無理をせず、便利な道具に頼り人に仕事を押し付けてサボります。それなりのスキンケアもエクセサイズもしますが、そうすれば自分が気持ちいいからであって、他人に若く見られたいからではありません。

でも、受け入れたその先に、何らかの魅力的な「モデル」があったわけではありません。

「老いに価値がある」という新しいロールモデルは、ホントいいですね。未来に明るい光が射してきます。

昨年大ヒットした「逃げ恥」でも、ゆりちゃんの「年齢を重ねることをバカにするのは、未来の自分を貶めること、自分に呪いをかけること」というセリフが有名になりました。より多様で魅力的な「オバサン」の姿がメディアで描かれるようになったのはとても嬉しいです。

女性が主人公の大河では、子供時代が「お転婆で天真爛漫」というステレオタイプが多く、今年も最初のうちはそうだったので「はいはい、ジブリジブリ」と辟易していたのですが、年をとるにつれて、面白くなってきました。前回、南渓和尚が「自分がこの道を選ばせた」と気づいたように、直虎は、自分で選んだといいながらも、実はなりゆきや人の意見に影響されて選んだ気になっていて、何をやりたいのかという本当の自我の軸がなかったように思います。このあたりもとてもうまいストーリーテリングだと思います。私も自分の過去を振り返ると、実はかなりの部分、周囲に流されたり人の目を基準にしたり、いろいろ言い訳して、自分のキャリアを選んできたと、最近気が付きました。それは良いことか悪いことかの価値判断は、敢えてせず、事実としてそうだったと受け入れようと努力しています。直虎も、ワンパターンな「男勝りの女傑」ではなく、等身大の「ヘタレキャリアウーマン」です。

そんなヘタレが、このあと自我に覚醒し、立派な「悪いイケオバ」となり、イケメン直政(史実でもイケメンで、それをけっこう武器にしてのしあがったらしい)をコントロールする悪だくみをめぐらす姿をぜひ見たいものです。(いや、そうなるかどうかは知りませんが。)

そして不肖私も、今後は悪いイケオバ(顔がイケてるかどうかはキニシナイ)をめざして、ますます精進したい所存であります。