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ベイエリアの歴史(35) - SF仏教寺院のハロウィーンと移民の出身県

10月31日、サンフランシスコ仏教会では、福岡県人会の追悼法要が行われ、福岡出身の夫が招かれて行ってきました。 県人会メンバーのうち、今年亡くなられた方を偲ぶ会、ということなのですが、お盆ではなくハロウィーンの日にやる、ということは、カトリックの「死者の日」に合わせているのかなぁ?とぼーっと考えています。ハロウィーンとは「死者の日」で、その日にカトリック教会では、その年になくなった信者さんの「追悼ミサ」をしますので、「そのまんま」であります。

先週のサンノゼ日系ミュージアムでのジミさんのお話では、サンタ・クララ・バレーにやってきた農業移民の出身地として多かったのが、広島・和歌山・島根・熊本・岡山の5県であった、ということを伺いました。それぞれの県出身者は、自然と同じ地域に集まる傾向があり、サンノゼは広島、ロスガトスは和歌山、といったような色分けがありました。上記の福岡県人会のサイトでその歴史を読むと、1900年代に福岡県からサンフランシスコとオークランドに渡った人たちが、現在の福岡県人会の源流となっている、とのことです。

ハワイへの移住者は広島と山口が多かった、との記述もあります。山口県は、ハワイ移民事業を推進した井上馨の出身地というつながりがありますが、ここでも広島が出てくる背景は、今のところよくわかりません。広島県の中でどの地域から海外移民が多かったか、ということを分析した資料などをいくつか読むと、人口に対して耕地面積が少なかった、藍の産地で外国からの安価な製品がはいってきて廃れて失業が多く出た、などを背景として挙げていますが、似たような別の事情が日本の他の地域で数多くあったはずで、これだけでは「なぜ広島ばかりが多いのか」という点について説得力がありません。特定の歴史的背景(かつての天領や譜代大名の地域で、明治政府に疎外されたとか?)の共通点でもあるかな、という仮説も考えましたが、これといったものが見つかりません。今のところ、「全国あちこちにできた移民会社のうち、特に成功した会社があったのがこれらの地域だった」のでは、という仮説を置いておくことにします。

さて、上記のサンフランシスコ仏教会は西本願寺系の浄土真宗のお寺だそうですが、中のつくりは、金色の祭壇の前に木の長椅子式の礼拝台が左右二列に並ぶ、「お寺と教会の和洋折衷」という感じです。

SFtemple

サンフランシスコ仏教会内部の様子

サンフランシスコ日本町の近くには、このほか、法華宗サンフランシスコ仏教会と、曹洞禅宗の桑港寺が集まっています。一方、サンノゼ日本町では、合同メソジスト教会の隣に浄土真宗のSan Jose Buddhist Church Betsuinが仲良く並んで町の中心を形成しており、ちょっと離れたところには、日蓮宗のNichiren Buddhist Templeがあります。他にも、日系人が多く入植したカリフォルニアの町には、仏教寺院が現在でもいくつも残っています。

これらのアメリカにおける仏教寺院は、1900年代前半の日系移民が、厳しい生活の中での心の支えとして求めてできたものですが、初期の日本語しかできない一世の時代と、その後アメリカ生まれの2世以降の時代ではその意義や存在も変わってしまいます。

現在の最大勢力である「米国仏教団」は、上記で述べた本願寺系浄土真宗で、全米に信徒が16,000人ほどいます。一世の時代には、日本から僧侶がやってきて日本語で活動していましたが、その後は英語しかわからない人が増えてしまい、日本のお坊さんで英語のできる人が少ないために、日本との人のつながりがだんだんなくなり、現在では日本から僧侶が来ることはないそうです。今日、サンフランシスコで法要を行ったのも、日系アメリカ人のお坊さんでした。米国の仏教は、第二次世界大戦中の日系人収容によりいったん消滅し、その後復活して現在に至りますが、その歴史の中で、仏教団の「西本願寺系」では、当地では入手困難な畳ではなく木の長椅子を入れたり、日曜日に法話会をしたり、上記のようにハロウィーンに追悼法要をやるなど、地元アメリカの風習に合わせる努力をしています。

しかし、こうした迎合的なやり方を否定する原理主義的な人たちも常にいます。浄土真宗の中では、東本願寺系が「原理主義」なのだそうです。現在のアメリカの信徒数では「西」派が圧倒的に多く、カリフォルニアは「西」派、「東」派はシカゴなどカリフォルニア以外という図になっているのだそうです。

ちなみに、そもそもハロウィーンというのも、カトリックがスコットランド・アイルランドの地元ケルト文化のお祭りを取り入れた迎合的なイベントです。といってもカトリック教会でも、ハロウィーン翌日の「諸聖人の祝日」は正式に祝日になっていますが、ハロウィーンは公式なものではありません。

カトリックは世界各地に広がっていく中で、積極的に現地の文化・習慣を取り入れてきました。日本のカトリック教会でも、七五三には子どもたちのためのミサをやり、千歳飴をくれました。私の地元のその教会は、大きな瓦屋根の木造建築、灯籠と障子風の内装、掛け軸の聖家族絵、日本画家による十字架の道行、など、サンフランシスコ仏教会とは逆方向に「お寺と教会の和洋折衷」をした和風建築でした。日本ではお寺でもクリスマスを祝ったりしますし、宗教的に寛容で、良い国であります。

一方、プロテスタントは宗派にもよりますが、全体的にはピュアに教義を守る傾向があります。ハロウィーンも、「異教のお祭りである」ということで、プロテスタントでは排除する傾向があり(でもそれ言ったら、クリスマスだってそうなんですけど・・)、フランスやイタリアなどのカトリック国も含め、欧州ではケルトの地であるアイルランド・スコットランド以外ではほぼ無視されているようです。

ハロウィーンが現在のような、コスプレバカ騒ぎの日になったのは、アメリカにはいってきてからです。(29)で述べたアイルランドからの大量移民が、19世紀にアメリカに持ち込み、その後徐々にアメリカで(おそらく、お菓子メーカーの謀略で?)広がり、宗教色が抜けたイベントとなりました。

原理主義とローカリゼーションの対立は、いつの時代のどの宗教にもあることですが、こんなちっちゃなアメリカの仏教にもそんな分裂があるというのは少々驚きです。

出典:サンフランシスコ仏教会、サンノゼ日系ミュージアム講演、Wikipedia、米国仏教団サイト