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ベイエリアの歴史(7) – 鉄道の重要性

産業革命の余波 昨今のテクノロジーの進化はすごいペースであるとよく言われますが、19世紀ほどではないと思います。なんせ、1800年頃にはナポレオンが馬でヨーロッパ大陸を駆け回っていたのに、その世紀の終わり頃にはパリに地下鉄が走っているのです。

そんな大変革をもたらしたのは、18世紀にイギリスを中心に起こった産業革命です。産業革命の口火を切ったのは「綿織物」でした。経済学者キンドルバーガーの言う、「衣食住の一つという必需品でありながら、一人で複数持っていても困らない、需要の飽和点が非常に高い品物であり、付加価値がいくらでもつけられる」という「織物/衣類」の特徴が、供給量が爆発的に増える産業革命を支えたという観点は目から鱗でした。確かに、食品では一人が食べられる量の上限がありますし、携帯電話なら一人一台以上に増やすのに通信キャリアは四苦八苦しており、最近は苦肉の策(?)で「IoT(モノのインターネット)」と盛んに喧伝しています。(だからウェアラブルなのか←違)

大西洋を隔てたアメリカでは、そんな産業革命の余波が南北戦争を引き起こします。伝統的農業ベース経済を「第一世代(1G)」、ひたすら金銀を掘り出して持っていってしまうスペインのアービトラージ型経済を「第二世代(2G)」とすると、植民地を原料供給地と製品販売先の両方に使うイギリス型は「第三世代(3G)」と言えます。(この構造は、今でもアフリカと旧宗主国などの間で残っています。)アメリカはすでに独立していましたが、まだこのエコシステムに組み込まれていました。アメリカの中でも、南部では綿織物の原材料である綿花を作り、その競争力の源泉は「奴隷」という安価な労働力であり、イギリスは大事なお客さんだったので、自由貿易を志向します。しかし北部は綿花がなく、もっぱら製品を売りつけられるばかりだったので、自分たちの工業力をつけるまでイギリスからの輸入を阻止すべく保護貿易を志向し、奴隷はいなくても問題ありませんでした。

そして、なぜ「あの時点」(1861年)で内戦が発生したのかというと、「ルイジアナ購入」と「米墨戦争」で突然国土が膨張し、その新領土をそれぞれが味方につけようとして、均衡が崩れたことが引き金となったようです。アメリカの上院は、人口に関わらず一つの州に2人という議員定数なので、ろくに人が住んでいなかろうが「州の頭数」は重要です。これ以上自由州が増えて、上院で奴隷制廃止法案が通ってしまっては大変と、南部は必死になったというわけです。ちなみに、カリフォルニアは自由州となりましたが、テキサスは奴隷州でした。

なぜ北軍は勝ったのか

南北戦争では、「戦争目的」がはっきりしていて士気が高かった南部が最初のうちは善戦しますが、長期化するにつれ、工業力というファンダメンタルズの強い北部が強みを発揮して押し切りました。なのですが、この「工業力」とは具体的に何かというと、わかったようなわからないような、であります。武器弾薬製造がまず思い浮かびますが、実は「鉄道」が勝敗を決した、という話もあります。

当時の北部の鉄道路線距離は、南部の倍あったそうです。この当時、鉄道は3つのモノを運ぶ役割を担っていました。(1)人、(2)物資、そして(3)情報です。(3)は現代では完全に別モノになっているので忘れがちですが、意外に重要です。

北軍兵は、前線まで鉄道に乗っていき、武器や食料も鉄道で運ばれましたが、南軍兵は、すべて自分たちでかついで前線まで歩いて移動しなければなりませんでした。スピードも兵の疲労も全く違います。

そして、情報も「手紙」という物理的なモノでしたので、これも鉄道で輸送すれば、飛脚や馬や馬車に比べ、圧倒的に早く大量に運ぶことができます。(電報はすでに発明されていましたが、電信線の敷設がまだ進んでおらず、高価でした。電話や無線の登場はまだ先のことです。)「情報戦」においても、北軍は南軍を圧倒したというわけです。

そう言われてみれば、日露戦争で必死に満州鉄道の取り合いをしたのも合点がいきます。20世紀初までのかなり長い期間、鉄道は「補給」と「情報通信」の両方を担う重要な戦略要素でした。はるか後年、1980年代通信自由化の時代に世界的にいろいろな鉄道会社が通信に参入したのは、一種の「先祖返り」だったのですね。

4G経済の同期生

1865年、南北戦争は終結します。アメリカは、自分たちの手でたくさんの血の犠牲を払って国内を統一し、生産力と大きな国内市場を併せ持った「第四世代(4G)」経済の国として世界の一部リーグに登場します。

数年後、戦争終結で余った武器が日本に流れ込み、戊辰戦争で使われて、1868年明治維新が成ります。日本も、他国からの侵略でなく自力で血の犠牲を払い、幕藩体制の封建制から統一国家・統一市場となり、アメリカに少し遅れて一部リーグになんとかもぐりこみます。アメリカで世界史を習ったわが息子によると、「この時点でこれをやったかどうかの違いが、その後の日本と中国の経済発展スピードの差になった、と教わった」のだそうです。

アメリカと日本は、4G経済の新興国としては、同期生の関係にあると言えそうです。

出典: C.P.キンドルバーガー「経済大国興亡史」、Wikipedia、山川世界史総合図録