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【書評】「ヴァティカンの正体」とアップルの与太話

【書評】「ヴァティカンの正体」とアップルの与太話

知ってる人はとっくに知ってる話だが、著者であるイワブチと私は、本書の中にしばしば登場する「フランス系カトリックのミッションスクール」で小学校から高校まで同級生であった、という超腐れ縁である。その割にはアメリカに来てから本書にあるようないろいろな「違和感」があって、すっかり教会に行かなくなってしまったのも同様。なので、この「ヴァティカンは歴史上最もsuccessfulなメディアである」というストーリーは、いろいろなところで「あー、あるある」と思えて笑ってしまう。特に、「ジョブスとiPhoneとiOSは父と子と精霊の三位一体」とか「ティム・クックは聖ペトロ、アップルは今使徒行録の時代」あたりは大爆笑である。わが地元では、同じアップルストアでも、パロアルトにあるものは「ご本尊」だったか「総本山」だかと言われていて、みな定期的にお布施をしにいっているし。

そういったお楽しみレベルでは、もしかしたらキリスト教のバックグラウンドのない方にはそれほど爆笑できないかもしれないが、それでも彼女が言いたいことはわかるだろう。キリスト教が世界のメジャーな宗教である現代から歴史としての過去を見返せば、なんとなく当たり前に見えているが、考えてみれば紀元4世紀とか5世紀といえば日本ではまだ弥生時代。そんな時代に、公会議で教義を徹底的に標準化し、世界に対して布教するつもりで早い時期から多言語対応し、トップの教皇庁と世界の隅々に張り巡らした地元の教会のネットワークを作り上げるというのはすごいことだ。(もっと最近でも、モルモン教は「多言語化」を強力に推進しているのはご存知のとおり。)このあたりは、ローマ文化の随所に見られる「仕組みづくりの天才」という環境のおかげかもしれない。(この点においては、まさにアメリカは現代のローマ文明だと常々思っている。)ラテン語という標準語の使用、「❍章❍節」というマーキングが徹底的に標準化された聖書のフォーマット、教会の構造も典礼の順序も完璧に世界標準。たとえ知らない言語の国に行っても、今どこをやっていて、聖書のどの部分を読んでいて、どのタイミングで立ち上がるとか膝まづくとかがわかる。改めて考えてみるとカトリックのグローバル戦略というのは、さすが2000年かけて生き残ってきただけのことはあって、感動モノである。

そして、現代において「文化的存在」として世界に冠たる存在となり、イタリアの経済にも大いに貢献しているその戦略。どこまでが結果オーライなのかはわからないが、確かに正しい時点で正しい方向に思い切って投資した結果が現在のヴァティカンの姿、ということなのだろう。

本筋とはあまり関係ないが、あまり娯楽のなかった時代に教会という存在が「テーマパーク」であったというのは本当にそうだと思う。ミサにあずかりながら、やたら立ったり座ったりがめんどーだな、と思いながら、きっと中世の農民など、年中腹が減っているので最低限の動き以上はせずじっとしていたはずで、そんな農民が週に一回やる「ラジオ体操」みたいなもんだったんじゃないか、という考えがよぎったこともある。

ちなみにアップルといえば、(ますます本筋とは関係ないどうでもいい話だが)アップル本社やスタンフォード大学のあるシリコンバレーの中心地は「サンタクララ郡」に属する。その「聖クララ」というのは中世の修道女で、カトリックでは「電話とテレビの守護聖人」だというのもますます因縁くさい。日本で八百万の神様が「何にご利益のある神様」といろいろ分担しているが、カトリックでは聖人が「何何の守護の聖人」ということで同じ役割を果たしている。で、聖クララという方は、病気でミサに行けず自室で寝ながら神に祈ったら、自室の壁にミサの様子がリアルタイムで映しだされた、という奇跡を行ったのだそうだ。ぜひ、「UStreamとiPadの守護聖人」も付け足してあげてほしいところだ。

「クールジャパン」というのはもう廃れているのかと思ったら、ますます最近やってるらしく、それへのアンチテーゼも本書の言いたいことのようだが、「投資」の概念が庶民レベルで浸透しているとは言いがたい日本では、なかなか民主主義の中で政治家が「投資」の決断ができないのだろうなぁ、と思ってしまう。本書に収録されている数々のウンチク話の中で、私が一番印象に残ったのは、この「オリバー・クロムウェルの愚行」の話である。

細かいところでは話がすっ飛んでいて「ん?」と思うところもあるが、そこはご愛嬌ということで、歴史好きでもそうでなくても面白話満載。ぜひお手にとってみてください。