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アメリカと日本の「格差社会」の類似と違い

アメリカの格差社会があまりにひどくなってきたことが、今年の大統領選大荒れの背景である、という話を以前のブログで書きました。昨日の民主党大会でバーニー・サンダースが演説をしましたが、このスピーチは彼のこれまでの主張をコンパクトにまとめて埋め込んでいるので、ご興味ある方は動画で全文視聴してみてください。

「ベイエリアの歴史41」で書いたように、サンダースの主張は、私が少し前に読んだ経済学者ジョセフ・スティグリッツの本の内容とほぼ合致しています。(ただし、サンダースは自分の経済政策アドバイザーが誰かは公表していません。)現在アメリカの格差社会がどれほどヒドイかという話はあちこちで流布していますが、では「なぜそうなったのか」という点については意外に語られていません。おそらくは、見解がいろいろあって定説になっていないのだと思いますが、とりあえずまとまったもので私が読んだのがとりあえずこの本なので、それを下敷きにして、日本と比較してみましょう。

アメリカに関していえば、(1)「所得上位の1%」の収入はどんどん増えているのに、(2)「下位90%(つまりほとんどの人)」は全く増えていない、という2つの方向で格差が拡大しています。このうち、(1)は日本にはあてはまらず、(2)のほうは日本でも似た現象である、と私は思っています。そして、どちらの動きも、「製造業からサービス業へ」という、先進国共通の大きな経済構造の動きに加えて、アメリカ特有の政策チョイスによるもの、と思います。

 

どちらもいろいろな要因が絡んでいますが、わかりやすいところで言うと、まず(1)は「リスクをとって起業したり、新しいものや海外に投資したりする人たちに大きな報酬を支払うことにより、産業を興隆させよう」という政策的な意図があり、これに伴って「キャピタルゲイン税率が、お金持ちの所得税率より圧倒的に低い」という仕組みがあります。所得税は累進制ですので、高額所得者は40%となりますが、キャピタルゲインは15%です。このため、シリコンバレーを含めた米国企業の幹部は、給料をもらうよりも株をもらうほうを好み、短期的に株が上がるような企業行動をするようになり、投資銀行は株があがるようにハイリスク・ハイリターンの行動をするようになっており、これがリーマン・ショックの引き金となりました。いわゆる「サプライサイド経済」で、企業が儲かれば従業員にもトリクルダウンするという政策が、特に70年代以降に政権をとることが多かった共和党政権下で続いたことによるもの、ということになります。そして、80年代にウォール街、90年代の「ネットバブル」の時期にシリコンバレーが、突出して金持ちになってしまいました。

(2)のほうは、やはり70年代以降、「雇用よりインフレ抑制」を重視した経済政策が続き、雇用がなかなか増えなかったこと、および法的・イメージ戦略的に、労働組合の力をそぐ方向での種々の手が打たれた結果、分配を要求するパワーバランス調整装置がなくなってしまったこと、セーフティ・ネット不在により、いったん脱落した人が仕事に戻れないこと、などを主な要因としてスティグリッツは挙げており、特に「組合」については、グローバル化により海外に職が奪われることよりも影響が大きかったとしています。

(1)に関しては、サンダースやスティグリッツが攻撃する「産業振興のためにリスクテイカーに大きな報酬を払う」という仕組みのおかげで、アメリカでは少なくとも、アップルやグーグルなどの新しい成長産業が勃興しており、シリコンバレーには大金持ちがたくさんいて、お金持ちになりたい若者が世界から集まって、破壊的なビジネスを日夜試しています。

しかし、社会階層的だけでなく地域的にもトリクルダウンが起こっていない(シリコンバレーはバブっているのに、他の地域にはその恩恵がいかない)ために、新しいサービスや製品の「お客さん」になってくれるはずの「中流階級=消費者」がどんどんいなくなってしまう、という危機感が、シリコンバレーで高まってきています。

しかし日本では逆に、「(1)が欠落しているがために困ったことになっている」と感じています。リスクテイカーへの報酬が小さく、雇用維持を重視してダメ企業でも「雇用マシーン」として生き残る政策が長く続きました。従来型の企業による終身雇用以外の有効な雇用調整装置がない(ここから脱落すると「派遣・パート」というより低い層にクラスチェンジせざるを得ない)ので、会社で働く人はリスクを避けて会社にしがみつかざるを得ず、「何かを新しくやって失敗したときに大きなペナルティをうける」と「何もしないでインセンティブもないがペナルティもない」という選択肢の間で「何もしないほうを選ぶ」という行動が蔓延しました。

その結果、アメリカほどの格差はないけれど、既存企業が活力を失い、新しい産業が興らない状態が続き、結局は倒産やリストラで職を失う人が増えました。分配しようにも、その原資が企業側になくなってしまった、ということになります。悪循環はどこかで止めなければいけないので、ここしばらくシャープ・東芝・タカタなどの問題が表面化して、企業の再編が起こっているのは、安倍政権の意向なのでは、と私はつい考えてしまいます。

・・が、本当に「原資」はないのでしょうか?アメリカでよく引き合いに出されるのが、「労働生産性はずっと上がっているのに賃金が上がっていない」というグラフですが、では日本では、と探してみると、日本のほうがずっとその傾向がひどい、というOECDの統計によるグラフが出てきます。(アメリカでよく使われる図とは、少々違いますが。)

私もまだ調べている最中で、結論というほどの確信はもてませんが、なにしろ日本はアメリカと少々違う経緯ですが、やはり(2)方向の停滞と生産性の停滞により、中流=消費者の崩壊がじわじわと進んでいるように思えます。

<追記>続きを書きました→http://www.enotechconsulting.com/blog/2016/7/30

【ベイエリアの歴史45】1968年民主党の混乱と党内南北問題

私の頭では、「共和党=右、戦争推進、白人中心、インコンベント(既存勢力)、田舎」「民主党=左、戦争反対、ダイバーシティ賛成、チャレンジャー、大都市/カリフォルニア」という構図がこびりついてしまっているのですが、歴史的に見ると、こうした要素の組み合わせは昔と比べて大きく変わっており、その地盤とする地域も大幅に組み変わっている、というのを最近知り、認識を新たにしています。

そもそも、というところまでたどると、「奴隷解放」のアブラハム・リンカーンは、北部都市部産業家を代表する共和党であり、それに対抗した伝統的南部の勢力が民主党でありました。もっと近代になってからを見ても、1933年のフランクリン・ルーズベルトから1969年のリンドン・ジョンソンまでの36年間のうち、共和党の大統領はアイゼンハワー(8年)だけしかおらず、実は民主党のほうが「インコンベント」な存在でした。カリフォルニア州も、州として成立したときに「自由州」を選択していたのですから、過去には共和党が強かったというのも言われてみればそのとおりです。

前回書いた1964年では、共和党大会が大騒ぎでしたが、次の1968年では民主党大会のほうが大荒れとなりました。現在の構図に至る両党の変容の歴史は、多くの要素と長い年月がかかっていますが、1968年はその最初の転換点に当たります。

ジョンソンは、任期中に公民権法を成立させましたが、一方ではベトナム戦争を拡大し、戦争継続を支持していました。1968年といえば、ベトナム反戦運動が激化して各地で暴動やデモが頻発し、マーティン・ルーサー・キングが暗殺された年です。ジョンソンも再選を目指しましたが、戦争政策への反対で支持率が低下し、早い段階で予備選を脱落してしまいました。その上6月には、本命と目されたロバート・ケネディまでが暗殺されてしまい、候補者選びは大混乱となりました。「主戦派」は、副大統領だったヒューバート・ハンフリーを代わりの候補として立て、一方の「反戦派」ではユージーン・マクガヴァンが有力候補となりました。

さてその予備選ですが、実は憲法でやり方が決まっているわけではなく、州が主催する投票制の「予備選(プライマリー)」をやるところと、州の党組織が主催する話し合い、つまり「コーカス」でやるところが混じっています。(予備選でも、オープンかクローズドか、など細かい違いがあり、さまざまです。)

そういうわけで、広い範囲の人からの投票だと不利と見たハンフリーは、「予備選」州を避け、党幹部の言い分が通りやすい「コーカス」だけで票を集めるという、合法だが裏の手を使って勝ち抜き、8月の民主党大会にこぎつけました。当時はそんなことができたのですね、驚きです。

党大会開催地のシカゴでは、反戦派が集まって抗議行動を行ったのに対し、シカゴ市長は警察を大量動員して厳戒を敷き、法に触れてもいないデモ参加者や、有力なジャーナリストまでも拘束したり尋問したり、デモ隊に放水したりしました。日本なら、東大安田講堂事件の頃のようなイメージの暴力沙汰が頻発し、それがテレビで全国に放映されたのです。

結局、ハンフリーがそのまま候補となりましたが、多くの党員の支持を受けみんなが納得するという「レジティマシー」が欠けたままで党が分裂。大統領本選では301対191というこれまた大差で、共和党のニクソンに敗れました。これで民主党は大きなダメージを受け、再建にはたいへんな時間がかかりました。

その後、2009年のブッシュ子までの40年間に、民主党が政権をとったのはカーターとクリントン夫の2回のみ(合計12年)で、共和党が「インコンベント」という私のイメージができあがります。

そしてもう一つ、興味深いのは、カーターはジョージア州、ビル・クリントンはアーカンソー州が地盤、つまりいずれも「南部の民主党」という、伝統的な幹部のポジションにあります。その流れでいくと、現在のオバマは、アフリカ系であることに加え、「北部の民主党」(イリノイ州が地盤)という意味でも、これまでの慣習を破っていました。

ヒラリー・クリントンは、夫が知事のときにはアーカンソー州のファーストレディでしたが、もとはシカゴ出身、大学は東部、上院議員の選挙区はニューヨークという、「北部の民主党」の色が強いように思います。そして、昨日発表された、彼女のランニングメート(副大統領候補)、ティム・ケーンは、南部のヴァージニア知事でカトリック。単に「白人男性」としてヒラリーとのバランスをとるという意味だけでなく、「南部」と「アイリッシュ=カトリック」という、民主党の中心勢力に近い人物ということもできます。オバマの副大統領であるジョー・バイデンは北部のアイリッシュ=カトリックであり、陽気な人柄で人気がありますが、ティム・ケーンはその雰囲気に近いものも持っています。現在の民主党では、「北か南か」はあまり関係ないようで、どこまで「南北」を意図したものかはわかりませんが、カーターとクリントンについてのウィキペディアの記述で、こんなことに初めて気がついて面白いと思った次第です。

(写真はヒューバート・ハンフリー)

出典:ウィキペディア

【ベイエリアの歴史44】1964年共和党大会のあったサンフランシスコ

オハイオでは共和党大会で、相変わらずお騒がせが発生しています。これの関連でよく言及されるのが1964年の共和党大会なのですが、調べてみるとこの大会、なんとサンフランシスコ(正確には市の南にあるDaly CityのCow Palaceという催事場)で開催されているとわかり、私の頭の中は???でいっぱいになりました。

カリフォルニアはガチガチのブルー・ステート(民主党支持州)なんじゃないの?と脊髄反射したわけですが、実は大統領選挙でカリフォルニアがテッパンの民主党州になったのは比較的最近、92年のクリントン夫のとき以来で、それまでは1952年から、ヒッピーの時代も含めてずっと、ブッシュ父まで、ほぼ一貫して共和党だったのです。ただの一度を除いては。

1964年といえば、前回書いたジャニス・ジョプリンとほぼ同時代、前年の1963年にはJFケネディが暗殺され、その前後はキューバ危機やベトナム戦争、そして公民権運動という騒然とした時代でありました。ベイエリアでは、ショックレー・トランジスタは1955年にできて、半導体産業が芽生えてはいましたが、基本的にはまだ農業と軍需が主要産業でありました。

当時の共和党(今でもある程度そうですが)は、「東部エスタブリッシュメント」である幹部が指名した毛並みの良い人がすんなり候補者となるのが普通で、その年も、ご存知大富豪家出身でニューヨーク州知事だったネルソン・ロックフェラーが幹部ご推薦でした。しかし、予備選でダークホースのアリゾナ州選出上院議員、バリー・ゴールドウォーターが忽然と登場して、ロックフェラーを蹴散らしてしまいます。代わりに、終盤になってから、ペンシルバニアの大地主家出身のビル・スクラントンを引っ張りだしましたが、得票数では及びません。

東部エスタブリッシュメント幹部は穏健派で、公民権法にも理解を見せ、対共産圏の対応も現実的でしたが、当時急成長していたカリフォルニアや西南部新興州の庶民は、「ソ連をつぶせ」「公民権法をつぶせ」と極論をぶつ、軍人出身のタカ派であるゴールドウォーターに大喝采を送って支持したのでした。第二次世界大戦から朝鮮戦争・ベトナム戦争と、アメリカにとっては太平洋側がずっと「前線」であり、19世紀の中国人排斥などに見られるように、当時のカリフォルニアでは人種差別意識が激しく、今とはずいぶん違う気分が支配していました。

そんなサンフランシスコで開かれた共和党大会では、幹部がなんとかゴールドウォーターを引きずり降ろそうとあの手この手の謀略を展開したといいます。それまでの伝統的手段は、文字メディアにスキャンダルをリークしたり、女を使ってスタッフをはめたり、種々の脅しをかけたりなどで、それに加えて当時はテレビが本格的に普及し始めた時期で、「テレビでゴールドウォーターに喋らせれば、あまりに過激な言動に党員が驚いて支持をとりさげるだろう」と、テレビを積極的に入れました。しかしこれがまた逆効果。ゴールドウォーターの選挙本部(市内マークホプキンス・ホテル)には怒れる支持者が押しかけて騒ぎ、後に伝記作者が「右翼のウッドストック」と記しています。

結局阻止工作は不発に終わり、ゴールドウォーターが正式に共和党の大統領候補となりました。しかし、11月の本選挙において、あまりに過激なゴールドウォーターは、歴史的大地滑り敗北を喫しました。ゴールドウォーターが勝ったのは、地元のアリゾナの他、公民権法反対の強かった深南部5州のみ。カリフォルニアで共和党の連勝がただ一度途切れたのが、この年だったのです。選挙人数では、民主党のリンドン・ジョンソン486票に対し、ゴールドウォーターはわずか52票でした。

・・という具合に、予備選から共和党大会にかけての経緯はなにやら今年の状況となんだかよく似ているため、このままトランプが候補になったら、ゴールドウォーターと同じことになってしまうのでは、と共和党幹部は恐れおののいているのだと思います。昨日のメラニア・トランプの演説が、2008年のミシェル・オバマをあちこちパクっていると大炎上していますが、これを見て「共和党幹部が仕組んだ罠(メラニアのスピーチライターが刺客だった!?)に違いない」と私がつい思ってしまったのも、「ハウス・オブ・カード」の見過ぎだけでなく、こんな1964年の話を読んだせいかもしれません。

(写真はバリー・ゴールドウォーター)

出典:Wikipedia, Smithsonian

【ベイエリアの歴史43】ジャニス・ジョプリンのいたサンフランシスコ

さて、その1960年代のサンフランシスコといえば、ヒッピーの聖地でありました。

私はイーグルマニアではありましたが、60年代の音楽はリアルタイムでは体験しておらず、ジャニス・ジョプリンといっても、(1)名前の響きがやたらかっこいい、(2)ヒッピーとかウッドストックとかそのへん、(3)ドラッグで若死にした、という3点しか私的には認識しておりませんでした。ウッドストック(ニューヨーク北部)のイメージが強いので、東海岸にいたのかと思っていたところ、実はばりばりのサンフランシスコ音楽でした。

というのがわかったのは、ネットフリックスで「History of the Eagles」を先日見たために、今度は「Janice: Little Girl Blue」というドキュメンタリー映画がオススメされて、これを見たためです。

ジャニスはテキサスの生まれですが、変わり者で、地味な顔立ちで、今で言う「コミュ障非モテ」であり、学校では「ブス」や「ブタ」などと言われてひどくいじめられました。テキサスの大学を離れてサンフランシスコに流れてきて、そこで初めて自分が暖かく歓迎される「居場所」を発見しました。

50年代、すでに「ビート」「ビートニク」などと呼ばれる、前衛的な詩・文学の潮流が勃興していたサンフランシスコのコミュニティでは、超越的な体験を得る実験として、種々のドラッグが使われていました。ジャニスはそのコミュニティの中で、ドラッグで体をこわしてテキサスにいったん戻ったり、婚約者に裏切られたり、故郷ではまたいじめられたりして、さんざんに傷ついて、音楽をやりながら、1965年にまたサンフランシスコに舞い戻ります。そこで、ジャニスはBig Brother and the Holding Companyというサイケデリック・ロックのバンドのリーダーに気に入られ、リードヴォーカリストとして参加します。このあたりは、現在のシリコンバレーで、なんとなくコミュニティができて人のつながりでベンチャーができ、コミュニティの中でそれを育てていく感覚と似ています。

60年代後半、思想的には「ビート」の流れを汲むカウンターカルチャーが、より派手なスタイルの「サイケデリック」カルチャーとなり、「サンフランシスコ・サウンド」とよばれるサイケデリック・ロックが誕生しました。今のサンフランシスコ日本町の西南端から通りを隔てたあたりにあった「Fillmore West」などのライブハウスを舞台に、ジェファーソン・エアプレーンやジャニスが加入したビッグ・ブラザーなど、ちょっと離れたパロアルトでは、グレイトフルデッドも頭角を現しました。特に、今ではもっぱら水族館で有名なモンテレイで1967年に開催されたMonterey Pop Festivalが、ジャニスにとっての大ブレークスルーとなりました。

彼らは、すでにヒッピーの聖地として有名になりつつあった「ヘイト・アシュベリー」、つまりHaight StreetとAshbury Streetの交わるあたりに住みました。当時まだ合法だったLSDがふんだんにありましたが、ジャニスはドラッグの誘惑と常に戦っていました。

ビッグ・ブラザーは、モンテレイの後、急速に全国的に売れましたが、その注目はもっぱら、ブルージーでパワフルなヴォーカリストであるジャニスに集まりました。「バックバンド」扱いにむくれたバンドのメンバーとの間で不協和音が起こり、1968年には追い出されて独立。1969年のウッドストック・フェスティバルでは、自分のバンドをバックにして出演しました。

ドキュメンタリーでは、この頃のジャニスについて、「舞台でパフォームし、大観衆の喝采を浴びているときだけが、気分が高揚して安心していられる時間であり、いったん舞台から降りて一人の時間になると、耐えられないほどの孤独と不安に苛まれていた」と描写しています。婚約者に裏切られたあと、安定して彼女を支える人とはついに出会うことができず、男女両方でいろいろなパートナーに依存しては離れる不安定な関係が続きました。そして、ついにドラッグとの戦いに負けてしまいました。

ジャニスは1970年10月、ハリウッドでレコーディング中に、ひとりぼっちでホテルの部屋で、オーバードーズのために亡くなりました。ジャニスの最大のヒット曲である「Me And Bobby Mcgee」は、彼女の死後に発表されました。まだ27歳、メジャーな活躍期間はわずか3年間しかありませんでした。

ヒッピーについては、また別の機会にもう少し書きたいと思っていますが、そういうわけで、当時のサンフランシスコは、そんな若いヒッピー達が住み着けるほど、チープなアパートがあったんだなー、などと思わず感心してしまいます。

【ベイエリアの歴史42】都市回帰のゆくえ、日本では?

日本では都知事選の関係で、「東京一極集中」vs. 「地方分散」の議論がネット上で飛び交っているようです。一方で、アメリカでは「都市回帰」が時代の流れになってきているな、という体感があります。

アメリカはもともと、土地が広くて人が分散している、というイメージが強いと思います。また、州の権限が強く「地方分権」の傾向も強くあります。ただ、それでも「都市」から「郊外」への分散というここ数十年の傾向は、そういったアメリカの「もともと持っている性質」とは違う力学が働いていると思います。

ひとことで言えば、1950-60年代の「モータリゼーション」です。当時、行政によるハイウェイの整備が進んだことと、石油メジャーによる石油/ガソリンの供給が増え、自動車産業がフル回転だったことの政治的関連は、よく知りませんが、まぁ間違いなくあったでしょう。この流れに乗って、大型トラックによる輸送の物流が中心となって、大企業が大量生産した食料や消費財が、郊外型の大型スーパーで大量販売され、ドライブスルーのファストフードが爆発的に増え、テレビでマス広告されるようになりました。人々は自動車を保有し、郊外の広い家に住んで自動車で通勤したり買い物するようになりました。

その結果、自動車を持てる中流以上の家庭と、持てない低所得家庭の間で、はっきりとした階級ができました。

例えばニューヨークでは、中心街のマンハッタンはビジネス街、そのすぐ外側で地下鉄で行き来できるハーレム、ブロンクス、クイーンズなどは低所得地域、ウォール街のプロフェッショナルなどは、さらに遠くの、自動車や料金の高い中距離鉄道でしか通勤できない、ウェストチェスター郡やコネチカットなどに住むのが普通です。(少なくとも、私が住んでいた90年代はそうでしたが、今はどうでしょうか?)

サンフランシスコでは、60年代公民権運動の時代に、「busing(バシング、バスで輸送する)」という、貧困地区の子供が富裕地区のレベルのよい公立学校に、スクールバスで通えるという仕組みを作りました。その結果、お金持ちが公立学校から逃げて学校全体が荒廃し、よほどのお金持ちなら市内の私立という選択肢もありますが、そこまでいかない中流家庭は郊外に逃げ出すことになってしまいました。

全米的にも、「都市内部(inner city)」というのは、「貧困地区」の代名詞となりました。

最近、いろいろなアメリカのシステムに歪みが出ているのは、こうした現在のエコシステムの大前提になっている「石油+モータリゼーション」というエンジンが、1970年代以降長期にわたって弱体化しているからです。一方で、90年代のネットバブルの時代に、シリコンバレーとウォール街に富が急速に蓄積し、その富を「都市」に投資して、荒廃したところをいろいろな手法で改造して美しくする「ジェントリフィケーション」が進行したり、環境対策や中東から輸入する石油に依存しなくてよいようにしようという米国政府の方針などもあり、特にわが地元のサンフランシスコでは「都市回帰」の傾向が顕著です。

少し前のブログに書いたように、列車・公共交通機関への注目が回復しているのも、その流れのひとつです。会社はシリコンバレーにあっても、住むのはサンフランシスコで、列車で通勤するというわけです。列車の駅の周辺は、以前はスラム街状態でしたが、最近は駅を改装し周辺に映画館やレストラン街を整備したオサレな「駅前繁華街」の建設が次々と行われ、いずれも大盛況です。私がシリコンバレーに引っ越してきたのが1999年で、その頃は子供を高速沿いのシネプレックスにアニメ映画を見に連れていきましたが、数年前にそこが廃止されて市内駅前の映画館に行くようになりました。今やリモートワークも普通にできるので、住む場所の選択肢も以前と比べてずっとフレキシブルになりました。

日本では、アメリカよりもやや遅れてモータリゼーションが起こりました。列島改造論は1970年代で、すぐに石油危機が来てしまい、列車の開発もその後も進んだので、アメリカほどのクルマ社会にはなりませんでした。それでも、あまりに東京になんでも集中しているために、今の都知事選候補の一人のように「地方分散」をポリシーとする人も多く、票田として大事なために「地方創生」なども行われています。

しかし、日本でも米国でも、もはや第一次産業に従事する人はごく少数しかいなくなり、「農地」に人を貼り付けていた時代のような人口の地方拡散はすでに不合理です。といっても、東京一極集中では産業のダイバーシティが実現しづらいので、私はいくつかの中核都市に異なる産業がそれぞれ群雄割拠しながら集中する「あちこち数極集中」が理想だと思っています。

サンフランシスコのジェントリフィケーションや都市回帰は、一方で以前から都市に住んでいた低所得住民が住むところを失うという摩擦も引き起こしており、このため住民がグーグルの通勤バスを妨害する騒ぎとなっています。何にせよ、すべてうまくいく話などないのですが、アメリカも日本も1950-70年代にできたインフラがそろそろ半世紀を経て老朽化する中、今のうちに都市にヘビーに投資する必要があると思っています。

【The Signal #15】花火とマルチチャネル無線

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話題のネットフリックス・ジャパンのオリジナル作品、「火花を見ました。ご存知、ピース又吉の芥川賞受賞作品の映像化です。「世界同時配信」なので、私のアメリカのアカウントでも普通に見られます。珠玉のアート系インディ映画が10本つながっているような、映画でもありテレビでもある、これまで日本では不可能だった新しいジャンルの映像作品が可能になった、との感慨しきりです。

「火花」は、美しい熱海の花火大会の場面から始まり、花火が重要な背景の役回りを果たします。夏の間、毎週のようにどこかの海岸で花火が上がっている日本の夏休みを懐かしく思い出します。アメリカでは、花火といえば7月4日の独立記念日、同じ日に全米で一斉に上がります。高台にある我が家からは、はるか遠くの小さい小さい花火が5ヶ所ぐらい見えます。花火師の人たちは、1年に一回しかない大ピークとそれ以外は全く稼働なし、という商売をいったいどうやって回しているんだろう、と、いつも不思議なのですが、なにしろ、現在の花火打ち上げはコンピューターで制御されており、マルチチャネル無線花火システムが使われています。

6月24日、Jonがモデレーターを務めたTelecom CouncilのDistributed Cloud & Mobile Edge Computing フォーラムでは、「クラウド・コンピューティング能力を、ユーザーに近いエッジに分散する」技術が話題でした。そこでのインフラベンダーの話によると、エッジのインフラは、「一桁ヘルツ」単位の精度があるそうです。つまり、1ヘルツあたりのデータ通信量が4ビット(4Gにおける常識的な数値)と仮定して、1チャンネルあたり5ヘルツなら20 bpsとなり、トラフィック量の非常に小さいIoTに必要な「十分狭い」帯域のチャネルをものすごくたくさんとれる、ということになります。

2G、3G移行時に比べて、4Gでは今ひとつテクノロジー業界へのインパクトが小さい気がしていますが、それはこういった「チャネル数のエコノミー」効果が以前に比べて小さかったからだと私は思っており、さてIoT時代への以降でこのエコノミー効果がうまく働いて世の中が変わりますかどうか。

「I love you」という短い文章のメールマガ上のエコノミクスの記事が出ていますが、そういうわけでWe love youと申し上げておきます。

イベント関係では、6月28日に、ジャパン・ソサエティのパネルでJonと海部、それにグーグルで「ナノディグリー」プログラムを運営するシャネア・キング・ロバーソンさんが対談しました。次は、7月22日、「US-Japan Innovation Awards」イベントが開催されます。Dropbox、日本初の「ユニコーン・ベンチャー」となったメルカリ、Women’s Startup Labの堀江愛利さん、元駐日米国大使ジョン・ルースさんなどが登場します。ぜひ、ご来場ください

海部

Friends,

July is here, and with it, San Francisco summer weather.  

Our panel on the on-demand economy on June 28 came and went. Many thanks to those who joined us.  Shanea King-Roberson with Google shared insights about their Android nanodegrees; Michi explained labor demographic differences between the US and Japan. In particular, we enjoyed this video from Google, showing a mother and daughter talking about learning how to become Android developers.( Photo to the right.)

Coming up next from the Japan Society and Stanford US-Asia Technology Management Center: theUS-Japan Innovation Awards, featuring Dropbox and Japan’s first unicorn, Mercari; keynote remarks from Ari Horie, founder and CEO ofWomen’s Startup Lab; a host of startups who will visit from Japan; and remarks from former US ambassador to Japan John RoosJoin us on July 22nd.

 July 4th happened (and we have proof!). A lot of fireworks were exploded, begging the question: what process do pyrotechnicians use? Do they wing it back there (likePippin and Merry at a hobbit party)?  We asked an expert (who still has use of all his fingers).  Regretfully, it turns out pyrotechnicians use multi-channel wireless firing systems.  Here's an example

In our last edition, we mentioned the Telecom Council’s recent Mobile Edge Computing forum, which essentially refers to putting cloud infrastructure at the edge of the cellular network, say, in a central office, i.e., very close to the user.  A panelist from an infrastructure provider mentioned something worthy of note here - that edge infrastructure is capable of single (digit)-hz precision. Let’s say a wireless carrier has 10 Mhz paired spectrum, meaning 10 MHz up and 10 MHz down.  Five hz precision, at 4 bits/hz (rule of thumb for 4G) would mean a channel *narrow* enough to support 20 bps, or low-traffic machine to machine applications. This could open the door to low-traffic (and potential high margin and sticky) and low-latency applications, like, say, autonomous cars. Something that got our attention. Hopefully this doesn't mean autonomous cars are a 5G thing.

The economics of “I love you” are getting some press. So, let us be clear - we love you.

- Team Blue Field

【ベイエリアの歴史41】ホテル北カリフォルニア

少し前に、スーパーのレジでローリングストーン誌「イーグルス特別号」を見つけて衝動買いして以来、イーグルス祭りのマイブームがまだ継続中です。

広告がひとつもはいっていないこのムックを裏表紙まで舐めるように読みつくし、2013年のテレビ・ミニシリーズ「History of the Eagles」をネットフリックスでビンジウォッチ、2009年刊のドン・フェルダー著「Heaven and Hell:  My Life in the Eagles」をオーディオブックで読破、過去のアルバムを聴きまくり、数多のインタビューやミュージックビデオをYouTubeで拾いまくり、といった具合に、1970年代には到底不可能だった、多様で深い情報を消費してくると、日本の田舎のティーンだった私には想像もつかなかった、当時の彼らの生活とロサンゼルスの「繁栄と頽廃」の様子が浮かび上がってきます。

前回の【歴史】シリーズに書いたように、アメリカ社会の枠組みは1980年代から大きく変わりますが、70年代はその序曲ともいえる時期でした。ウォーターゲート事件、ベトナム戦争敗北、そして1973年の第一次と1979年の第二次石油危機によって、それまでの「石油と自動車と大量消費」というエコシステムでどんどん高度成長していたアメリカ経済に急ブレーキがかかりました。当時日本にいた私には、イーグルスやディスコ音楽など、「楽しい」部分しか見えていませんでしたが、「現場」では、暗い雲がかかってきた未来から目を背けるため、その前に完成した仕組みと蓄積した富をつかって、ドラッグと金ピカ消費に突っ込んでいた時代だったのだ、と改めて思います。

例えば、「ホテル・カリフォルニア」のあの忘れられないギター・リフをつくったドン・フェルダーですが、この手記によると、幼少期、父親は機械工場で真っ黒になって奴隷のように働いてもたいした給料がもらえず、家族は非常に貧しく、その暮らしから抜け出すために、兄は弁護士となり、弟であるドンはミュージシャンとして成功したのだそうです。今から振り返ってみれば、彼の生まれ育った50-60年代は、こうした「アメリカン・ドリーム」成功譚が日常的に可能な時代でしたが、彼の成功が頂点に達した70年代以降、その夢が徐々に失われていきます。

アルバム「ホテル・カリフォルニア」の楽曲を、英語がだいぶわかるようになった現在、改めて聴いていくと、「太陽が海の向こうに沈んでいく」ような、詩人ドン・ヘンリーの手による言葉の風景が次々と目に浮かんできます。彼らはそんな南カリフォルニアの生活と文化を、揶揄と憧憬と諦観が入り混じった表現で歌っています。

アメリカは、そんな「終わりの始まり」の時代を、完成度の高い音楽に定着し、世界的なポップ文化の金字塔として残すことができて、ラッキーだったと思います。この時期のロサンゼルスの繁栄と頽廃は、文化的にも歴史的にも、日本のバブル期と似ていると思うのですが、日本のほうは残念ながらイーグルスに匹敵する「作品」として結実したものは私には思いつきません。

さて、南で「ホテル・カリフォルニア」が発表された1976年、まだまだヒッピー文化が色濃く残っていた北カリフォルニアでは、アップル・コンピューターが創業しました。歴史的には、南より北のほうが、早く都市が形成されたのですが、産業の興亡においては、現在に至る「北」の繁栄はもっと最近の事象です。

時代的にいうと、90年代の「ネットバブル」がひとつのエポックでしたが、現在までも、景気循環を繰り返しながら、だんだんと「繁栄と頽廃」のサイクルが盛り上がっているような気がしています。かつてのような「ドラッグと金ピカ」の替りに、高いお値段のモダン風の家で「ケールとキノーラ」を食べながら、ベンチャーキャピタル用語を駆使してネットワークし、いい大学に入れるために子供をアフリカでボランティアさせ、野生動物を保護する非営利団体のパーティに盛装して出かけて・・といった、シリコンバレーの「ヒップスター」文化は、ますます勢いを増し、そのサークルの外側にいる人達との軋轢はますますひどくなりつつあります。しかし、この地に20年以上住んで、ヒップスター的なものに憧憬をもってきた自分自身も、(ライフスタイルはお金が足りないのでそこまでできませんが)この価値観にどっぷり漬かって、容易にぬけ出すことはできない、と感じています。

「Throwing rocks at the Google bus」という本を、今、読み始めています。この現象を「頽廃」と呼ぶべきかどうかはなんとも言えませんが、新しい豪華なオフィスビルの入り口に佇んで、「You can check out any time, but you can never leave」という謎めいた歌詞と、「ホテル北カリフォルニア」ということばが、ふと浮かんできたのでした。

【ベイエリアの歴史40】アメリカの大統領選の海部流まとめ

アメリカの大統領予備選で、民主党もヒラリー・クリントンがほぼ確定しました。今回の大統領選は大荒れですが、改めてきわめておおまかに整理すると、こんな感じになると思います。

共和党が右、民主党が左、という伝統的なイデオロギー対立が1990年代には弱まったため、左右2象限ではなく、こんな4象限に分裂した感じになっています。

右側の共和党は、以前からこの上下の分裂がはっきりしていましたが、右上の伝統的富裕層と右下の保守白人庶民の間では「保守キリスト教思想」という共通項が接着剤の役割を果たしていました。90年代にはいり、共和党の言うことが堕胎禁止のような「え?そこ?」と言いたくなるヘンな争点ばかりが前面に出るようになって、一体何がどうしたんだ?とずっと疑問だったのですが、「共産主義の脅威」がなくなって、上下をつなぐ接着剤がこれしかなくなってしまったから、という町田さんの話でようやく腑に落ちました。

アメリカの大統領選はとてもお金がかかるので、お金を持っている人たちの意見が通りやすく、このため共和党の幹部は右上のお金持ちの人たちに有利な政策をとってきました。前回選挙のときの共和党候補、ミット・ロムニーはまさに右上の人たちを体現していました。それでも、接着剤のおかげで右下の人たちがついてくる、はずでした。

しかし、80年代あたりからの数々のサプライサイド的なお金持ちに有利な政策の結果、所得格差が拡大し(このあたりは、最近読んだジョセフ・スティグリッツ著「Rewriting the Rules of the American Economy」という本によります)、さすがに右下の層の人たちが反乱を起こし、右上の人たちからお金を貰わなくていいトランプに群がりました。一方で、共和党幹部もここ2回の選挙敗北で、人種マイノリティや女性を取り込まなければいけないと焦り、マーコ・ルビオのような、あまり典型的ではない候補者を立てようとしましたが、結局絞りきれずに乱立して右下のトランプに吹き飛ばされてしまいました。右上の人たちは、マイノリティ候補者に納得しない人が多かったりして内部で合意ができず、バラバラだったのでしょう。

一方、民主党はかつては労働組合・人種マイノリティが主流で、これにリベラル思想インテリ層が乗っかっている感じでしたが、90年代のバブル以降、ウォール街のバンカーやシリコンバレーの起業家・投資家が大儲けできるようになりました。これらの人たちは、「リベラル思想インテリ層」に該当し、また人種マイノリティも多い業界ですので民主党支持であり、最近はむしろ民主党支持者のほうが「お金持ち」の頭数は多くなってしまったのではないかと思います。(持っているお金の総額はわかりませんが。)

しかし、こういった左上の人たちも、上記のサプライサイド的政策の恩恵でお金持ちになった人たちであり、「マイノリティ」は仲良しだけど「貧困層」にはあまり同情できないタイプの人たちです。クリントンが「ウォール街と癒着している」とサンダースが攻撃するのがまさにこの点です。民主党政権の間も同じように格差拡大が続きました。

「下」の反乱の受け皿という意味では、バーニー・サンダースはドナルド・トランプととても似ています。ただ、彼の場合は自身がお金持ちではなく、特に初期の頃にネット選挙戦略で卓越して若年層の支持を集め、お金もオバマが切り開いた「ネットで少額のお金をたくさんの人から集める」手法を採用しました。話題を集めたオバマのネット選挙戦の手法を最も忠実に継承したのがサンダースでした。

また、両者は「誰を悪者にするか」が違っています。トランプは、どうせ選挙権などない「外国」が悪者としてちょうどいいので、「グローバリゼーションのせいで君たちは貧乏になったのだ」と言います。一方、サンダースの言っていることは上記のスティグリッツの本そのまんま(というか彼の説を下敷きにしている?)で、「銀行や製薬会社の権力濫用が悪い」と主張します。

こういった下々のドタバタを超越していたのがヒラリー・クリントンでしたが、サンダースの意外な善戦に苦しみました。それだけ、格差社会の問題がアメリカで深刻であるということの表れです。しかし、サンダースはどうしても女性やヒスパニックなどの人種マイノリティに人気がありませんでした。この辺りの理由は、私にはまだよくわかっていません。このあたりも含め、民主党の上下分裂は、最近顕著になってきたとはいえ、共和党ほど激しくなく、やや混沌としています。

それにしても、そういうわけで共和党はまさに崩壊の危機に面しています。トランプが大統領になってもならなくても、党の分裂など、重大な危機を迎えそうです。

ヒラリーについてはまた別途書こうと思いますので、今日はこのへんで失礼します。

【The Signal #13】アプリ経済の「利益なき繁忙」

<Bluefield Strategiesのニュースレターとして配信されたものです。配信ご希望の方はこちらからどうぞ。>

「アメリカでモバイル・アプリは儲からない」という事実は、以前からよく知られています。その昔、日本ではiモードでドコモが11%しか分け前を取らないというのは「神話」の域で、アメリカではモバイル・キャリアが半分以上取っていくのが普通でした。iPhone登場時、アップルが「30%」というのはとてもありがたく、iPhoneに開発者があれだけ群がったのも「地獄に仏」だったからです。少しは良くなりましたが、それでも厳しい「利益なき繁忙」が続いています。

最近の大ヒットゲーム、GLU Mobileの「Kim Kardashian: Hollywood」ですら事情は同じ。発売以来2年近くたつのに、今でも「Top 10 grossing adventure game」(AppAnnieによる)にランクインしていますが、配信パートナー(アップルまたはグーグル)に30%支払い、残りをカーダシアン家(歌手でも俳優でもないがなぜか有名な「セレブ一家」)に「ブランド」料として折半すると、粗利はわずか35%しか残りません。

そのため、ゲーム各社は外部のブランドではなく、自社キャラクターにユーザーを移そうと躍起になります。LINEが儲かっているのも、スタンプを外部の有名キャラクターではなく自社開発にしたから、とも言えます。自社キャラものと合わせて、GLUの粗利率は57%です。Adobe(84%)よりも、ハードメーカーのfitbit(48%)に近いですね。

音楽配信アプリは、「自社開発コンテンツ」というものがそもそもありえない世界なので、ますます厳しいわけです。少し前に、Pandoraが身売り先を探しているというニュースが出ましたが、成長著しいSpotifyは「過去最大の赤字だがそれはグッドニュース」(赤字が売上のパーセンテージとして減ったから)という皮肉な状況。

Pandoraの粗利率は40%で、これも上記fitbitやApple(40%)というハードメーカー並みのレベル。Spotifyは売上の84%をアーティストに分配しているので、粗利率はもはや卸売業(例えばAvnetの11%)のレベルです。

永遠に投資家から資金調達し続ける会社があるから、ユーザーは音楽=無料と思う世代が育てられると十分考えられる。それはSpotifyの大きな長期的インパクトかもしれません。アーティストもライブでしかお金を稼げなくなっており、Pandoraがチケット事業に投資しているというのもなんだか皮肉です。

ところで、前回ここで「オンデマンド経済」に関するパネル・イベントをご紹介しましたが、日程が変更となりました。新しいスケジュールは6月28日、場所は同じDG717です。登壇者は引き続きMayfield FundとHackbright Academy、そしてJonと私です。早期割引チケット発売中ですので、ぜひご利用ください。

 – Michi

Friends –

App developers have long lamented app economics. And it *is* a hard business, even for developers of hit games. Take GLU Mobile’s hit game, Kim Kardashian: Hollywood. (What, you don’t play? Sure you don’t.)  Close to two years since launch, it’s still a Top 10 grossing adventure game, according to AppAnnie.  GLU shares 30% of gross revenue with its distributor (Apple or Google). Assume it shares 50% of what’s left with Klan Kardashian, that gives GLU a gross margin of 35%.  (In potentially related news, GLU is not profitable.)

GLU’s overall gross margin is 57%; hardware maker Fitbit’s is 48%; gaming giant Activision’s is 66%; Adobe’s is 84%. Music streaming company Pandora’s GM is 40%. (Also not profitable, although its core music streaming business is on a standalone basis.)  

So, to make those economics work, GLU needs to migrate users acquired through the Kardashian game over to other GLU apps with more favorable economics, preferably games that don’t need a revenue share with an IP holder.  At least, that’s the idea. Smurfs from Capcom is another example of this strategy.

Which gets us to this week’s flurry of news about Spotify. Hey, Spotify is losing less money as a share of revenue than ever before (Recode’s take) !   PrivCo provided this chart in its newsletter. A quick eyeball indicates that Spotify shares about 84% of revenue with artists. On the one hand, this seems good for artists. On the other hand, this makes Spotify’s gross margins more inline with distributor Avnet (buy low, sell slightly higher; 11% GM) than…GE (27% GM), let alone hardware companies Apple (40%) or Fitbit (48%). Or software companies like Adobe (84%).  Is this a sustainable business model?

There is a long-term potential impact of a company that can in essence infinitely raise investor dollars to condition users to expect music to be free, which is perhaps the more sinister long-term implication of Spotify. They may be the icing on the cake that ensures that artists can only make money through live performances.   Which could explain why Pandora is investing in the ticketing business.

 

In our last edition we wrote about an upcoming panel on the On-Demand Economy, featuring speakers from Mayfield Fund and Hackbright Academy, along with our own Michi. That has a new date – June 28, at Digital Garage’s San Francisco office, DG717.  Early bird tickets on sale now.  Look forward to seeing you there.

– Team Blue Field

【The Signal #12】オンデマンド経済について

日本から見ると、アメリカはオンデマンド労働がかなり普及している、女性リーダーが多いなど、「ススんでいる」と思われがちですが、実は「日本とアメリカは、欧州と比べ、基本的に同じ問題を抱えている」と最近感じています。先日、女性の働き方についてのオピニオンリーダーであるアンマリー・スローターさん(ヒラリー・クリントンが国務長官だったときの幹部スタッフ、元プリンストン大教授、現在はシンクタンクのCEO)の講演を聴きましたが、男性の「タイム・マチョ」(長時間労働を自慢する風潮)や、「ケア・ワークが金銭的にも社会的にも低く評価されている」など、いろいろと共感するところが多かったです。

オンデマンド・エコノミーも、そんな現象の一つです。「働き方スタイル」の変化は、モバイルやクラウドなどの技術を引き金として出現していますが、その底流には、日米共通の「今のやり方が合わない」という問題があります。ではオンデマンドがその究極的な回答であるのか、というと多分そうではないと思うのですが、さて、現状はどうなのか、何がよくて何が問題なのか。6/28に日程変更となったジャパン・ソサエティのパネルにて、共通の課題をかかえる、日米両国の状況を比較して、何か新しい見方ができるようになればいいな、と楽しみにしています。
– Michi

Friends –

Great Scott! It’s been a month since our last update. The good news is that gives us lots to talk about.

First, as mentioned last time, the Japan Society of Northern California will indeed host anInnovation Salon on the on-demand economy, June 28 at 5:30pm in San Francisco. Big thanks to our hosts (and Japan Society sponsor), Digital Garage, who have graciously provided their venue, DG717

Why this panel now? Japan has lots of underemployed temps, ready to be tapped into by on-demand services. Note the trend towards non-full-time hires as shown in the data below. Learn more on May 20.

 

Full-time and non-full-time workers in Japan

Speaking of Japan, we have a triple blast of UC-Berkeley news: Jon’s BerkeleyHaas MBA seminar on Japan starts this month; he has joined the UCB Center for Japanese Studies as associated faculty; and in the fall, will be set loose on a room of unsuspecting Haas undergrads for his first undergrad business course. Indoctrinate them while they’re young!

We call this newsletter The Signal, which is alternately defined as “a gesture, an electronic impulse, or an act that conveys information or warning”. It’s a broad, wonderful motif – it conveys the lightships of yore; San Francisco’s own Coit Tower and Telegraph Hill; fiber, of course; even the Beacons of Gondor. It is wonderfully evocative in what we see as the quest to connect all of us, be it the telegraph, be it the cross-country call, or the black and white Nokia candy bars of the 2000s. It’s a theme we’ll keep coming back to in this space.

Stay tuned..and connected. Hope to see you May 20th.
– Jon